「クルミ植えるバカ」

 

 この親にしてこの子あり、との思いを抱かされました。原木シイタケ栽培の名人として広く知られた人です。瞳さんには3人の弟がいますが、その3人を有名な「シイタケブラザー」に育てたことでも知られています。秋山宇宙飛行士もこの人に師事しており、福島県でシイタケ農家として活動中でした。

 アイトワの庭には「囲炉裏場」がありますが、いわばここは「庭の中のニワ」です。つまり野良仕事に取り組む生活にとって、不可欠の勤労にいそしむ空間です。いつの日にか、ここに臼と杵などを持ち出して「餅つき」をしたいものだ、との願いを抱いています。

 昔の農家には「ニワ」と呼んでいた勤労の場があり、屋内にあって、雨の日などはとりわけ大活躍する場になっていました。年末のお餅つきにも活かされました。アイトワでは逆に、真冬の晴れた日(薪割りや焚火)や、とりわけ夏場の好天の日(つる性野菜の支柱解体やBBQ)に大活躍させるために用意しています。

 ですから、ここには「緑の天蓋」を用意しています。囲炉裏場を取り囲む落葉樹の木立のことで、冬は落葉して陽を通し、夏は木陰を自動的に作る装置です。ボタン操作も不要の、いわば完全自動スダレです。かつてはクヌギにこの役割を担わせていました。クヌギは、その落ち葉はとても良い腐葉土になります。切り取れば燃料やシイタケのホタギとして重宝します。

 数年前にこの樹種の変更を思いついています。質実な私生活に供する生活空間から、啓蒙の空間としての機能の強化を構想した時のことです。学生たちの手を借りて、幾本かのクヌギを切り取り、囲炉裏場の南側にあった竹やぶを切り拓いたのです。

 竹やぶを切り拓いたところは新果樹園になりました。そして切り取ったクヌギの代わりに、3本のクルミと3本のムクロジを植えました。共に自動スダレの役割を果たしますが、クルミは食用になる実を提供してくれます。ムクロジはサポニンを大量に含んだ実を提供しますから、昔の人は洗濯の木として活かしていました。この実を用いて洗濯していたのです。

 要は、バイオの時代であることを若者に肌で感じてもらいやすくする工夫の1つでした。もちろん、新果樹園にはスモモも植えました。しかし、食用になる実の収穫を第一義にはしていません。花が綺麗なアーモンドだけでなく、花しか楽しめないシダレで八重の紅梅とシダレで八重の桃を植えていますし、花らしい花を着けないビワとイチジクも配しています。また、「糧飯(かてめし)」に葉を摘んで活かせるクサギも生えています。要は、多様性を尊んでいます。

 この計画は、残念なことに、今や後期高齢者の私が生きている間には完全には成就できそうにありません。その典型がクルミであり、ムクロジです。5年や10年では実がならない、と言われるからです。でも、木陰づくりには十分間に合うでしょう。

 キット、瞳さんの父上には、こうした想いが選んだ樹種、少なくとも私が生きている間に収穫が間に合う植樹(目先の打算)ではない樹種だと直観で感じ取ってもらえたのではないでしょうか。それはともかく、もうすぐ、要は来春にも、それは数カ月後のことですが、八重の桃や梅は花をつけ、早晩桃源郷のようになりそうだ、と連想してもらえたのではないでしょうか。

 クルミは苗木を植えてから15年ほど待たなければ実がなりません。ですから「クルミ植えるバカ」との言葉が生まれたのでしょう。もしそうなら、同様に、私はバカ丸出しの選択を他にもしています。この2年前から手掛けてきたことですが、今年も実がなっていた樹齢30年以上の2本の温州ミカンの木を切り取っており、計5本の柑橘類の苗木を植えたことです。温州ミカンの木の更新などを試みましたが、これもバカ丸出しかもしれません。でもこれも「日々の暮らしを芸術化」する秘訣ではないか、と思っています。

 少なくとも若木が次々と花を付け始める光景を楽しむことが出来そうです。きっとそれは孫を得た老人の心境に似ているのではないでしょうか。

 もちろん、この更新作業は思わぬご褒美を用意してくれました。それは木陰にされていた甘夏ミカンの木が陽光を得るところとなり、50個もの実を稔らせたことです。

 


クルミ