「文化の本質」
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初任給が、今日の半分どころかもっと少なかった時代にスダレは8,800円もしていたわけです。その時代のスダレと見かけは同じように見せかけるスダレが今や300円ほどになっています。もしこの低価格化が機械化の恩恵に本質があるとすれば、それこそ機器化に優れた日本の出番になっており、日本がスダレ生産の場として栄えていたはずです。 そうではなくて、機械化は人間を粗末にする手段にされてきたところに問題があるのです。スダレ職人が機械化で生き延びようとするよりも、むしろスダレ職人を痛めつけるがごときに門外漢が、似て非なる安物で、消費者をかどわかしてきたのです。それが証拠に、機械化が進むにつれて、世の中の貧富の格差が進んでいます。 世の中をよく見ると、油断したり、労を惜しんだり、公助に依存したり、挙句の果ては一人でも生きてゆける時代になったと思たりする人を増やしたりしており、自ら墓穴を掘っていたような人さえ増やしています。 とても唐突で、誤解を生みかねない事例ですが、母子家庭の半数が相対的貧困者になっているメカニズムはその典型ではないでしょうか。その母子に問題があるのではなく、メカニズム自体に、その立場に追い込んだ無形の社会システムに問題があるのです。もし、当事者が何かを信じて、あるいは何かを期待してその立場に自ら己を置いていたとしたら、その何か自体に問題があるのです。または、伴侶の命を不幸な出来事によって失っていたとしたら、その不幸な出来事の原因にこそ問題がある可能性が濃厚、と見ています。 要は、機械化は自分で自分を粗末にしかねない人々を増やしてきたのです。言葉を替えたらそこに文明の本質を見てとっておくべきではないでしょうか。 スダレが8,800円のころは、母は夏が過ぎると丁寧にタワシで洗い、干して、丁寧に紙でくるんで保管していました。それは1つの風物詩でした。スダレを造った人たちに敬意を払っているかのごとくに丁寧に取り扱っていました。まるで歳時記のごとく、欠かさずに繰り返されていました。水が冷たくなる前に、むしろ水に触れるのが心地よい間に、母は頃合いを見計らうかのようにして毎年繰り返していました。子どもであった私は、スダレを尊いものと見ていましたし、見事に編み出す職人を驚嘆の目で眺めていました。 そこに文化の本質があります。文化とは手段の1つなのです。限られた生活空間にあって、永続的な生き方を追求し、しかも時々刻々と高みを目指したい、その願いを現実化するうえで文化は不可欠の約束事であったわけです。言葉しかり、水の生かし方しかり、排便の処理の仕方しかり、など。そうした約束事(つまり文化)が、そうした願いをかなえさせた。その高みに誘われた結果としての成果物が、踊りであり、歌であり、酒であったりしたわけです。 それぞれの文化を育み、お互いを高め合いたい、それが健全な(一般的な)人々の本性であるはずです。そのために多くの人たちは手を携え、心を1つにしてコトに当たりたくなる。その時に不可欠であったのが文化です。つまり、それぞれの土地柄が生み出させた約束事、一種の不文律です。コトに昇華させる手段です。 言葉を替えれば、それぞれの土地柄が農業時代に(つまり工業化が始まる以前に)生み出させた成果(踊り、歌、あるいは酒など)から見れば、文化は手段であった、と見てよいのです。 機械が作り出す安い物が増えるにしたがって、この文化はすたれています。人々の間に生じた油断が原因です。そうした安いものを生み出すために低賃金で駆り立てられた人たちに払うべき敬意を見失ったところに、つまり人を粗末にする心に蝕まれたところに問題があるのです。そのメカニズムが、社会システムが、貧富格差をますます広げてゆうことでしょう。 アイトワでは、そのメカニズムから逃れようとする人たちのオアシスになりたく願っています。 週記のことですから、思いつくままに記していますが、これが私の理解です。 踊り、歌、あるいは酒などは文化ではありません、文化という手段が生み出させた結果です。 その文化を破壊する文明(スダレで言えば、タワシで洗い、干して、丁寧に紙でくるんで保管する行為、つまり風物詩ともうべき日常化した行為、それは日々の生活の営みを健全に守らせる手段であった、を疎かにさせ、見失わせた文明)の進展に疑問を抱き、私は転身しました。 私は、文明が誘う「貧の立場」に陥れられるのも、逆にお金(手段の一つにすぎないのに、最大の目的に感じてしまい、そ)の亡者となって文明の寵児になるのも御免、と思ったのです。逆に、目的をことごとく手段にして、日々の生活の営みを芸術化することにしたわけです。 要は、文明の問題は、自己責任の下に自己完結性を目指すヒトの本性をないがしろにさせかねないところにある、と私は睨んだわけです。 平たく言えば、人間の解放を忘れさせ、欲望の解放に躍起にさせ、それをカッコウよく感じさせる麻薬のようなものとして文明に、機械に依存する文明に疑問を抱いたのです。 そして、よくよく考えたら、学生時代に150年も前の人、ウイリアム・モリスにその心を学んでいたことに気付かされています。
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