「水俣事件の悲劇」×「大本営の欺瞞」
 

 水俣事件で、私は仲間割れの悲劇を見ました。早かれ遅かれ被害者になる立場の漁民が、必死になって仲たがいし、陰湿ないがみ合いを演じていました。それをほくそえんで眺める人たちの思うつぼにはまったようなことになっていました。その裏に、真実を隠そうとするものすごいエネルギーを見ました。

 大本営の欺瞞、それは大それた詐欺であったというところに本質があるでしょう。その手先に進んでなった人(職業軍人などは、今も国の手厚い恩恵に浴している)、無理やり手足にされた人(赤紙で駆り集められた人も、国の恩恵に浴している)。本質に気付かずに振り回された人(銃後の国民)、そうとは気付かぬままに自殺行為(特攻など)に追い込まれた人。人数も調べずに死地に駆り立てられた人(学徒兵など)。追い込んで(自殺の真似までして)生きのびた人。本質に気付いて抵抗し、いたぶり殺された人など、さまざまでした。この裏にも、真実を隠すことを合法化するまでのものすごいエネルギーが働いていた。

 こうした悲しい出来事を演出した張本人を国際社会は断罪した。それを受け入れたはずのわが国は、その後、神にも似た扱いをしている、と国際社会に見なされて、非難されている。

 真実を追求したくなるのが人間の1つの本姓ではないでしょうか。その本性をほしいままにさせていたら不都合なことになる、と考えるのも1つの人間の本姓かもしれません。

 その鬩ぎ合いをし烈にすることを恐れて、今も戦後処理が引き延ばされ、未来世代に負の遺産を引き継がせようとしています。未来世代は、倍返し、三倍返しが求められることでしょう。この引き伸ばし作戦も、詐欺行為ではないでしょうか。

 それよりも何よりも、国税を使って、国民の目には永久に触れさせない情報を作ろうとする想いが今や形になりかけています。それを正当化する法律を作って「法律に従っています」とうそぶかせかねない世の中になりはじめています。これこそ詐欺行為ではないのでしょうか。

 太平洋戦争では、「勝つまでは欲しがりません」と誓ってひもじい思いをした庶民が、この戦争に要した経費を、敗戦後はインフレという形で全額負担させられています。つまり、「負けたときは私たち庶民の責任です」と誓わされていたような結果になっています。

 ひつこい、また蒸し返す、と叱られそうですが、勝つと言い張っていながら負けた人たちは今も手厚い恩恵に浴しています。無理やり手足にされた人(赤紙で駆り集められた人)はそのおこぼれに浴するような立場に追い込まれており、怒るべき立場にまで育っていません。