記念すべき庭掃除の日
 

 

 2つのテーマで叱責しました。1つはごく個人的な性格の問題ですし、普遍性があまりありませんのでひかえます。

 他の1つは「片付け」の問題です。妻は物持ちが良くて、亡き母は「なんでもポイポイ捨てない人」とみて、むしろ気に入っていました。それがどれほど役立ったことがあるか、これは私も認めます。しかし、そこに問題「油断を生じさせかねない隙間」が生じかねないことです。妻も加齢を十分用心すべき年頃です。脳を活性化しておかないと、大変なことになりかねません。

 用事があってユーティリティを覗きますと、資源ごみとして出し忘れた瓶や缶だけでなく、パソコンなどの機器類や鉄くずもありました。金太の小屋の側には、使い古した一輪車などがたてかけれれ、放置されたままになっていました。

 妻はキリキリ舞をしていましたから、ここぞとばかりにそれらのクズを金太の小屋の側で積み上げ始めました。そうと気付いた妻は、「まとめて」引き取り業者に出したい、新春に「予定している」とフクレました。しかし、待ち構えていた屁理屈は言わなかったのです。つまり、「ゴミのことなんかでグチャグチャ言わないで」とか、「これは私に任せておいてください」などと言わなかったのです。そこで、プリプリして妻が立ち去ったあと、積み上げたごみに3枚目のブルーシートを、これ見よがしに被せたのです。

 2枚は、12月21日の雨のせいで、かあぶせたままになっていました。仏教大生が来られなくなり、「焚き火」用の剪定屑を濡らさないために、もう1枚はセメント作業用の砂を守るために用いていました。この2枚は、必然性があります。問題は最後の1枚です。物持ちの良さが生じさせかねない油断が生じさせたもの、と私は断じています。

 もっとも、除夜の鐘を聴きながら、五輪真弓の『恋人よ』を聴いておけばよかったな、とも反省もしていますが、「これでよかったのだ」と思い直しています。
 

これ見よがしに被せた

剪定屑を濡らさないために

セメント作業用の砂を守るため