妻はいまだに、(動くことができない)植物のことよりも、わが身を守るために動ことができる動物の方を心配します。もちろん私も子どものころはそうでした。それだけに、ボツボツ気付いてほしい、と思います。気付いてよい頃だと思います。
「命あっての物種」という諺がありますが、この解釈の問題だと思います。私は、「死んでは何にもならない」ということを諭す諺だ、ではないでしょうか。つまり「なんとしても生きなさい」ということだと考えています。
ですから、生き続けるには何が大切か、言い直せば、何を大切にしておけば生き続ける(希望をつなぐ)ことができるのか、それを考えなさい、ということでしょう。私は、いつしかそのように「ハッと」気付かされたことを思い出します。
ある時は「お魚も食べなさい」でしたし、「薬を飲みなさい」であったこともあります。
そのころから、植物がなければ片時も動物は生きてゆけない、と考えたりするようになっています。野菜を作り、木を育ててきたのも、その一環のようにおもいます。薪風呂にこだわるのもこの一環かもしれません。ありがたみを実感するのです。
だから、その延長線上で「ムカデをどうした」と叫ばせてしまったのでしょう。ムカデに初めて咬まれた妻のことより、ムカデの方が気になって、そう叫んでしまったのです。
それにしても、どうしてハッピーがこの庭で最も高台(である北西の角)の茂みに、2度ならず3度も登ったのか、不思議でなりません。
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