食事の様子
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お煮しめは3ガ日で、2人で(睨み鯛には手を付けず、昆布巻き、ボウダラ、あるいはカズノコなどを少し残すのみで)片づけました。この間の日替わりメニューは、夕食につく暖かいもの(ハマグリの吸い物とか茶わん蒸しなど)と昼食です。 4日からお雑煮が、白味噌仕立てから澄ましになり、時には澄まし雑煮(の大鉢)だけで済ませます。昼食は、鍋焼きうどんとかとろろそばなど、ほとんどが麺類ですが、ときたま焼いたモチ(砂糖醤油と海苔巻)とか安倍川餅を挟んでもらいます。夕食は、庭仕事を4日から本格化させましたから、まず庭から引きあげた後で、酒ガスケーキを作ってもらったり、チーズクラッカーとビールで空腹をいやしたりしながら待つことになります。 4日はアイトワ塾の新年会でしたから、夕食はカナッペなでとビールから始まり、刺身と清酒、さらにワインにあったメニューのかずかず、そして握りずし、サラダへとうつり、最後は善哉とコーヒーでしめています。 睨み鯛に手を付けたのは、5日からでした。なんと1匹の大鯛に3日がかりで、3日目の7日は鯛麺でした。小さい方の鯛は9日に片づけています。 七草粥の日はとりわけ嬉しかった。とても寝坊をした妻に、私はまずホッとさせられています。庭を駆け巡って七草をつみとり、いつものように粥を煮てくれましたが、ありがたかった。今年から、七草粥としては本物のホトケノザ(タビラコ)を、気兼ねなく詰めるようになりました。この粥を、いただきものの辛子明太、数の子、そして千枚漬けで味わいましたが、とても嬉しかった。前2者は二昔ほど前まで顧問先であった2人の会長からいただいたものでであったからです。よくぞ小うるさい助言を聞き入れていただけたものだと感謝しています。 この日、屠蘇酒を妻はガラスコップに移しており、3回に分けて片づけました。まず昼時のこと、私たちは歳を十分とっているのに、「歳をとったら、お昼にも少し(お酒を)たしなむのもいいものですね」と偉そうなことを言いました。そこで「ハッピーにも」と、私は掌に注いでお相伴させますと、案の定クシャミをしました。妻は24歳のころ、酒を飲ますと決まったようにクシャミをしていたものです。「あれから40年」です。白髪頭にしてしまいました。 夕食の鯛麺には、残っていた片身を用いたのですが、それでも食べきれません。そこで、私は猫マタギよろしく、身や皮をとことんせせって中皿に盛り上げ、ハッピーと金太に贅沢をさせました。7草粥も「残った」とかいって、鯛麺の出汁といっしょに混ぜてやっていました。ハッピーはこのところ食欲を旺盛にしており、うろつき回ることが多くなりました。この日は、夕刻に中庭のリュウノヒゲの中で寝ており、妻が所定地に抱いて戻しています。 ちなみに、妻の朝寝坊にホッとしたわけは、サラリーマン時代のことを思い出したからです。週日は毎朝4時台に起きて、野菜の収穫から用意をし始めていました。とりわけ冬は大変でした。おかげで一度も遅刻することなく、毎朝1時間早く8時に出社することができました。 もっとも、通勤時間が2時間余になったアパレル時代から、マルチハビテーション(仕事場の近くでも泊まれるところを用意した)方式に移っており、早朝出勤準備は週に1回ないしは3回程度になっています。 この正月は、2日から9日まで毎朝私が先に起きています。毎夜のように妻は工房にこもり、人形作りに精を出しており、おのずと遅くなっているようです。 |
酒ガスケーキ |
庭を駆け巡って七草をつみとり |
辛子明太、数の子、そして千枚漬けで味わった |
リュウノヒゲの中で寝ており |