えも言われぬ寂しさを感じた
 

 

 このたびのNZ旅行で深めたNZの理解度と、このたびの一書の刺激度が共鳴したかのようなことになって、柄もいえぬ心境にされたのです。

 この8日のことですが、雨が幸いして3つのよいことがありました。まず、体を休めようと思って掘り炬燵に入りました。そして、新聞の切り抜きなどとともに、NZに持参しながら読めなかった一書も持ち込んでいます。それらが催眠剤にならなかったのです。ならなかったどころか、過日の『幸福ということ』という一書と同様に、論文集のような一書なのに、いやそれだけに、その客観性にも惹きつけられ、読みふけってしまったのです。いわば「幸福」の定石を追求するような一書です。イギリスに関わる記述も多々ありました。それが、NZ旅行と帰途に立ち寄ったHKで火がついていた関心ごとを煽りたてるようなことになり、英気まで与えられたような気分にされたのです。雨のおかげで、体力の復元、無知の補填、その上に英気まで与えられたのです。

 これまでの私は、イギリスは植民地で結構ひどいことをしていたのにたいしたシコリを残しておらず、時間の経過とともに懐かしさをもって過去を偲ばれているような事例によく出くわしており、不思議に思っていました。それがこのたび、そのわけがおぼろげながらですが、見えてきたように気分にされたのです。

 このたびは帰路で、オークランド空港で8時間、HKの空港で 9時間余の待ち時間がありました。オークランドでの長い時間は、みかさんの提案で体をいやすひと時にしており、シャワーも浴びました。HKでの時間は、HK島と九龍の市街地を願い通りに巡る幸運に恵まれました。願い通りにとは、飲茶(やむちゃ)の前と後は、さまざまな公共乗り物と徒歩で巡ることでしたが、願いがかなえられたのです。それは幸運でした。出発の2日前に届いたHKからのX’massカードをたよりに、アパレル時代の知人と連絡を取り、案内してもらえたのです。

 ありがたいことに、中国に返還される前のHKを私は観る機会を得ています。返還式での大雨の中の様子をつぶさに語れる商社時代の友人にも恵まれています。もちろん、アパレル時代には、ホンコンに子会社を作っており、しばしば訪れてもいます。

 ほんの数時間でしたが、路上でたむろし始めていた「アマ」さんと呼ばれる人たちの出現を目の当たりにするなど、何かが手に取るように見えて来ました。HKの将来だけでなく、中国本土の行く末、あるいは日本の相対的立場などが、瞼に浮かぶような気分にされました。

 「アマ」さんとは、外来家政婦のことで、フィリピンやインドネシアなどからHKにやって来て、主に住み込みのメイドとして働いている人たちです。その人たちが、日曜日など休日には、市街地の一角や公園などに三々五々申し合せたかのように(?)集い、望郷の念に駆られながら(?)飲食を楽しみ、英気も養い(?)、新たに迎える6日間に立ち向かっているようです。

 HKの市街地は、まるで往年のパリのサントノーレ通りを、立体的に巨大化したような様相で、中国本土から押し寄せる購買客に支えられています。かつて私たちが、お金さえ出せば買える(かつては職人が貴族などの需要にこたえて作った製品・オートクチュールと呼ばれた高価なカバンや衣服などに似せて)工業的に大量生産した製品にたむろしたように、中国の人たちがたむろしています。その購買はありがたいけれど、イギリスから押し付けれて始まり、やがて学び、なじんでしまったイギリス的なありようを、なんとしても手放したくない、とHK中が訴えているかのように私の五感は受け止め、下司の勘繰り(私の第六感や七感)まで働かせまったのです。

 その上に、この雨の8日の読書を通して、NZで聞きかじっていたことを、あるいはかつてHKで経験していたことを振り返る所となり、考え込んでしまったのです。

 たとえば、土地に対する彼我の考え方。

 NZとかつてのHK(今も似たようなものでしょうが)の土地のありようは、人口密度の差も極短に異なりますから、まったく違います。HKではべらぼうに高価なのに、土地は登記簿によって管理されてはいなかった。安価なNZでは、どうなっているのか、聞き洩らしています。

 それはともかく、この度NZで聞きかじったことですが、わが国のありようとは雲泥の差です。それは、唐突に聞こえそうですが、彼我の人権意識のありようの差のように感じました。わが国でも次第に人権意識が芽生えていますが、私が思春期の頃と比べても今は雲泥の差です。同様に、今と20年後では、また雲泥の差になっていることでしょう。

 私が思春期の頃は、夫婦喧嘩は犬も食わぬ、といわれていました。「俺の女房ダ、煮て食おうが焼いて食おうが勝手だろ」との啖呵が通りました。現実に、3日もすれば、その女房が「ねえアンタ」と甘えている姿をまま見たものです。同時に、その女房は(啖呵を切った亭主から)常日頃は「山の神」と恐れられていました。これがよくある夫婦の姿でした。

 別の言葉を用いたら、当時は夫婦が助け合わないと生きてゆきにくい時代でした。夫婦が互いに思いやり、確固とした責任感と自負心によって結ばれていた、と言ってもよいのではないでしょうか。なにせ、公助に頼ることなど不可能に近かったのです。それどころか、赤紙1枚で強制的に夫は呼び出され、死地に追いやられることがありえたのです。

 余談ですが、安倍さんはそのころの諾々と行動する人たちに今も「愛国心」と見出している、と断言してよいでしょう。かく命を落とした人たちに尊崇の念を抱いていると胸を張って述べ、そうした境遇に追い込んだ人を合祀した施設に出向いたのですから。それが今の日本の首相の意識でしょう。そうした意識の人を私たちは選び、喜んでいる人が結構いるのです。

 話しを雲泥の差に戻します。この雲泥の差があることを読んだうえで生きているか、読みもせず、考えもせずに言動をほしいままにしているか、これは大きな差を生じさせかねないでしょう。

 恐らく、同じ植民地支配であれ、イギリス人はここのあたりを読んだうえで酷いことをしていたのではないでしょうか。つまり、被支配国の人たちも、やがては自分たちと同じような人権意識に目覚めるに違いないと見てとって、振る舞っていた。逆に、わが国は読まずに、好き勝手をしていたのではないか。なかには今も、見下したままの人がいるのではないか。

 安倍さんに至っては、未だに化石のような頭で、好き勝手をしているように私には見えます。だからこの度のやらかしたことに対して、アメリカも同じような見方をしており、「失望した」と言わせてしまったのではないでしょうか。

 余談ですが、畑山さんは「せめて県外」といって崩れました。それはあらぬ理想が果たせなかったからでしょう。他方、安倍さんは「拉致問題の解消」を安倍政権の存在意義、と啖呵を切っています。過日、東日本の早期復興を、安倍政権の存在意義、とまた啖呵を切っています。

 そのご、「拉致問題の解消」はいっこうに進んでおらず、進め得ないことをやらかしたわけです。これは理想が果たせていないのではなく、義務を怠っているのではないでしょうか。

 余談が過ぎました。ここから、人と土地をごっちゃにするような話になりますが、以下の点を私たちがキチンと気付いておかないと、わが国の未来や未来世代を辛い立場に追い込みかねない、と言いたいと思います。

 例えば、「パリーラ事件」がありました。アメリカは小鳥の人権を認め、乱開発する人の手から小鳥を守っています。わが国は、未だに水俣事件(人権問題の極みのような案件)の決着さえつけていません。このたびの福島の原発事故も人権問題でしょう。

 過激なことを言うようですが、「パリーラ事件」が小鳥に人権のごときものを認め始めた動きであったとすれば、やがて土地にも、それ以上に人権のごときもの認めなければならなくなるだろう、と私は観ているのです。要は、小鳥に人権のごときものを与え、勝訴させ、小鳥が生きてゆく土地の乱開発を止めさせたということは、乱開発しかけていた人に「俺の土地ダ、煮て食おうが焼いて食おうが勝手だろ」といったような啖呵を切らさせなくなったことを意味しているわけです。つまり、公共物としての意識、その公共の中に野鳥も、その野鳥を支えるバクテリアも含むことを意識しなければならないことを諭したわけでしょう。

 それはともかく、このような考え方に火をつけたのはこのたびのNZ旅行で垣間見た「土地と人の関係」です。いろいろと考えさせられました。

 相続税:NZでは無税です。固定資産税はたいした額ではなさそうですが、あります。もっとも、NZと言っていいのかどうか、までは分かりません。NZの国の体制、たとえば地方分権度などを知ってはいませんから、たしかなことは分かりません。滞在したファンガレイに限られたことかもしれませんが、相続税は無税、固定資産税は少額でした。それはまだしも、その土地の相続にたいするNZの、少なくとも当地の人々の考え方に感心させられました。

 土地の相続:少なくとも当地では、相続税は無税なのに、不動産を生前に子どもに売り払う人が多い、と聞いたことです。複数の子どもがいたら、その中から、引き継ぐことを一番強く希望する子どもに、いわばその証としての対価で売り払い、その子どもが願う通りに相続財産を生かさせる、というのです。譲る親としては、誰よりも高価な価格を提示し、そのかちをみとめてもらえたら、嬉しいことでしょう。 

 もっとも、子どもがいない人、子どもは一人で引き継ぐことを望まなかった場合、あるいは、法外に安い値でしか子どもが買おうとしなかった場合など、を調べたわけではありませんから詳しくは考察を加えることはできません。でも、憶測は出来ます。

 まず不労所得を夢見るような子どもを育てずに済ませられることでしょう。もちろん、不労所得を夢ない子どもには、あらぬ負担をかけずに、いわんや尊厳を傷つけずに済ませられます。なぜなら、身に合わない土地や家屋を引き継ぎ、維持し続けなければならないとすると、往々にして苦労することが多いものであるからです。いわんや、売らざるを得なくなった時に、不労所得を願っていたかのように勘繰られたりしかねません。

 相続税がなく、固定資産税も安いとなると、生前相続によって納税額を低くしようと考えるなど、コセコセしたこともせずに済まさせられます。言い直せば、国民を、国から己の身を守らざるを得ないような惨めな気分にさせずに済みます。逆の言い方をすれば、国民をいかに守るかが行政マンの使命であるとすれば、行政マンを寄生虫かのような誤解の対象にせずに済まさせられます。相続税や固定資産税が高いと、まるで荘園時代かのように、パブリックサーバントであるべき行政マンを支配者のような気分にさせ、国民と行政マンの間に溝を作らせかねません。それは、相続税や固定資産税が高ければ、行政マンにとってはそれらが不労所得のように見えかねないとは言い切れないのからです。その恐れをNZは避けたようなことにしています。

 ここで、あらぬ誤解を生じさせかねない危険をあえて冒します。多くの人に察してもらいやすい例として、つまり性差別的な誤解や、無生物と生物を同列に扱うような誤解も与えかねませんが、あえて挙げたい例があります。もっとも、土地を財産価値として見ている人には、いかに断ろうが誤解を生じさせかねませんが、あえて挙げさせてください。

 土地とその土地を(こよなく愛している)地主の関係は、目に入れても痛くない娘と、その娘を手放さざるを得なくなった時の父親の関係に似ているように、私には見ていることです。

 ですから、かつて砂川事件がたけなわのころの想いを、行政マンと農民の溝を拙著でとりあげており、土地と農民の関係に「糟糠の妻」を連想しています。

 このたびの旅行は、その成田空港から飛び立ちましたが、とても残念な思いがしました。当時の国宝のような農民の多く(わが土地に打ち込まれた太い杭に、わが身を鎖で縛りつけ、農を守ろうとした老婆を始め)は今はなき存在でしょう。他方、成田空港は存在価値を次第に失くしており、これら国宝のような人たちが生きていたら、どのように感じたのでしょうか。

 あと20年もすれば、無用の長物以下になっているではないでしょうか。


 

願いがかなえられた

願いがかなえられた

願いがかなえられた

願いがかなえられた

「アマ」さんと呼ばれる人たちの出現