世の中で生じかねない(と憶測した)貧富格差拡大の渦に、なんとしても巻き込まれたくない、との思いが生み出させた生き方です。
その方程式は、「清貧」×「しかるべき工夫と努力」=「清豊」 です。
このたび、風邪でやむなく屋内で過ごさざるを得ない事態となりましたが、運がよいことに、次々と「しかるべき工夫と努力」の対象にできることが生じたのです。
常に私は、天変地異や天災だけでなく、悪しき(好戦的な)主導者などがもたらす災難などで、「ドン底」に陥れられかねない事態を覚悟しているようなところがあります。そして、その「ドン底」を(災い転じて福となすではありませんが)「清貧になる好機」として生かしたい、と願ってきたように思っています。それは、大被害を受けたジエーン台風がキッカケであったように思います。「いっそのこと、土管生活になれば」、台風ごときにおののかずに済むだけでなく、自然の力に「凄いなあ」と驚嘆できるようになる、と考えたことを思い出します。
それはともかく、なぜ「清貧」か、それは私自身に自信が持てなかったからです。しばしば悪事に巻き込まれかねない、あるいは悪いことをしかねない、自分であることを不安に思っていたからです。このような悩みを抱かざるを得ない息子などつくりたくない、と真剣に考えた時期さえあり、なんとかしてつつがない人生を送りたい、と願ったものです。
そう思ったのは、「エリートサラリーマン」と呼ばれ始めて有頂天になりかけていた頃のことです。「ご本社は(あの)船場(の近く)ですか。生き馬の目を抜くという船場ですか」との言葉をしばしば聞かされたことがありますが、そのころのことです。
それは、欧米への出張命令をほぼ己の希望通りに下してもらえるようになった60年代の末頃のことです。所得水準が数倍上のアメリカで、不思議な現象を目にしたのがその想いにとどめを刺した、ように思います。アメリカの郊外や田舎では見られないのに、都会でははなはだしい貧富格差が見られたのです。それは、ヒッピーの巣窟で1週間も逗留したり、NYのセントラルパークに面したマンションに、仕事の関係で幾度か招かれたりする幸運に恵まれたことも関係しているようです。意識して世の中を観察するようになった次第です。
ヒッピーは風評と実態は異なりましたし、マンションが意味するところも知りました。要は、ヒッピーは平和主義者で、武力や金力に基づく権力を警戒していました。マンションとはお金さえあれば、なんでも欲しいモノやコトが自由になるアパートのこと?と感じました。
ヒッピーは自己責任で身を守る必要がありません。守らなければならないものを欲しがらないのです。マンションで住まう人は、お金で守らせます。お金で身の回りの世話も、死んだ後の遺体の保存も自由になると信じているようでした。自己完結する必要がありません。
そうした人が集まるNYなどの都会では、このいずれにも属さぬ中間層が大勢いましたし、とても貧しい人も目についたのです。とても貧しい人は、郊外や、いわんや田舎では見られないのに、NYなどの下町ではその比率が、年を追うごとに、高まっていたのです。
都会は、とても恐ろしい装置だと思いました。なぜなら、貧しい人も、自己完結する力を欠いていたからです。都会とは、人間から自己責任能力や自己完結能力を奪い去る装置ではないか、とさえ思われました。ですから、『このままでいいんですか もうひとつの生き方を求めて』では、人間の体にたとえて、都会はガン患者のガン病巣であり、都会人はガン細胞だと、断定的なことを記したのです。控えめに見ても、都会は欲望の解放装置だ、と見ました。
よほど気をつけておらないと、翻弄されかねない。私のようにフラフラした者はたちまちにして腑抜けにされかねないと思うほど、魅惑的に思われました。その誘惑に乗ったり、乗せられたりした集積が、結局は自分の首を絞めることになる、と警戒しました。
要は、コブナやタニシの顔色を知りうる田舎とちがって、時は「自分が乗っている船を沈めようとしていることに気付く機会に恵まれがたくが、その船を沈める片棒を担がされかねない」と心配したのです。ですから、環境問題を解消しようとすれば、地球上から都会をことごとく消し去ってしまえば、ほぼ解消するでしょう、などと考えました。都会の需要に応えている企業は自動的に操業を中止し、都会人の嗜好に沿ってどんどん増殖している農業の工業化はやり方を改めざるをえなくなるわけですから、解消するでしょう。
そんなこんなで、真の幸せや豊かさとは何か、と思うようになっています。この真の幸せや豊かさを手に入れる方が、マンハッタンのマンションに住まう人や、そうした人が蔑む貧しい人があこがれる幸せや豊かさより、はるかに簡単に手に入れられそうだ、と考えています。
そうと私が確信したころは、わが国では「一億総中流」と言われていました。アメリカでは、中間層の減少が問題視され始めていました。その後、貧富格差が日本でも問題になり始めます。アメリカでは1割の金持と9割の貧乏が問題になり始め、アッという間に、1%と99%の関係になっています。当然でしょう。それが人々を相対的な価値で目をくらまし、本質ではなく属性にあこがれさせる風潮の行き着く先、つまり工業社会の行き着く先ではないでしょうか。
こうした渦に巻き込まれず、なるだけ多くの人に、いずれは共感してもらえそうな生き方はないものか、と考えました。そもそも、目指すべき方向は?
とも考えました。おぼろげにその方向が見えたのはオイルショックの時です。方向を見定めることができました。
まず「清貧」を覚悟しなければならない、と考えています。やがて、妻にもその覚悟をさせます。ですから妻は、相談もせずに商社を辞めても驚きませんでした。
心秘かに、何らかの「しかるべき工夫と努力」を「清貧」の上に積み重ねて「清豊」を手に入れる方法はないものか。誰にも文句を言われずに、成し遂げられる道を真剣に考えています。
その最大の課題は、「清豊」にたどり着けるか否かは2の次にして、その過程がとても楽しいし、プロセス自体に人間たるゆえんを感じ取れないといけない、と考えたことです。なぜなら、工業社会は、とりわけ都会は、この人間たるゆえんを感じ取るコトやモノを忌避させかねない装置であると断言してよい、と私も見ていたからです。
そのようなわけで、「しかるべき工夫と努力」の模索、紆余曲折を本格化させいます。この様子をまとめたのが『京都嵐山 エコトピア便り 自然循環型生活のすすめ』です。
きっと、2025年ごろに、誰の目にも見えるほど、露わな問題が生じるでしょう。問題は、そこで一儲けと、と考えて手ぐすねを引いている人、企業、あるいは国がありうることです。同時に、大慌てせざるを得ない事態に陥れられる人、企業、あるいは国もあり、油断をさせられています。きっと、そのころに、2025年ごろには植物が、取り返しがつかないような悲鳴を上げ始める可能性がある、と私は思います。用心に越したことはありません。
このようなことを予見して、記した一書があります。つまり、「清貧」×「しかるべき工夫と努力」=「清豊」との方程式をまとめあげ、この生き方を必要・必然とする根拠と共にまとめた一書ですが、『次の生き方 エコから始まる仕事と暮らし』です。
この度、10年目にしてこの重版ができることになりました。この間に、ブッシュが去り、311の原発事故はあり、政権交代もありましたが、救われたことは、誤字は除き、改めたり修正したりする必要性がなかったことです。そこで、行数を増やさないようにして、一言二言加えるだけで、説明不足を解消する努力を5日がかりでしてみました。
その合間に、遅れていたユズ粉作りを思い出したり、網田さんから唐突に宿題を与えられたり、気になっていたセメントを練る舟の補修をする好機と気づいたりして、組み込んだのです。
この過程で、なぜか私の知人で、網田さんの仲の良い友人のことを思い出しています。昨年宝クジに当たった人です。4億円です。当たった後も、これまで通りに50ccのバイクに夫婦でまたがって通勤し、同じように生業にいそしんでいます。「さすがだなあ」と思います。でも、私には簡単には真似られそうにはありません。私なら、きっとバランスを崩してしまうことでしょう。
ですから決して宝くじを買い求めないのですが、この人はそのくじをなぜ手に入れたのか、気になり始めています。なぜなら、くじを買う人は確率上では、限りなく99%の方に誘われているわけであり、胴元は1%の方を目指しているからです。
思えば、『このままでいいんですか もう一つの生き方』から数えて10年目に『次の生き方』が誕生しています。そしてその後10年目にして重版です。とても嬉しい。1人でも多くの人が、これをヒントにして自分らしい生き方に踏み出してもらえたら、と思います。
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