公衆トイレ

 

 このところ外国人観光客が増えており、この時期でもパラパラですが、主に外国人観光客が通ります。またこの日の庭仕事は、門扉に近いところで、あるいは門扉の側をよく通る作業が多かったこともあり、外国人観光客としばしば目があいました。

 一度は、前日に引き続いて紅梅の剪定を仕上げ、一息ついていた時でした。2度目は、妻と門扉脇にたたずみ、人形展示室の出窓の造作の相談をしている最中でした。

 外国人と、とりわけ白人の外国人観光客と目が合った時は、私は即座には目を離しません。畑仕事の最中でも対応しますし、いわんやこの日のように間近であればなおさらです。それは挨拶をする人が多いからです。微笑んだり、手を振ったり、あるいは「ハロー」と声をかけたりする人が多いおです。この挨拶には見習うべきだと私は思っています。

 そのうちの2組の人たち(一組はタイ)でした。やっと喫茶店を見つけたのに、と言ったような顔をした人がいました。「May I help you」「Yes」となり、トイレを探していたことを知りました。その瞬間に、私はある思い出を振り返っています。海外出張も多かった頃の思い出です。トイレが探せずに困ったことが多々あり、どれだけレストランや、いわんや(軽い飲み物で済ませられる)喫茶店に助けられたことか。

 そのおかげで、身分不相応なレストランで食事をするはめになり、予期せぬ発見をしたり、喫茶店の生かし方を身に着けたりしたものです。挙句の果ては、トイレのない(百貨店のごとき)大きな店があることを知って、大いに啓発され、一書にしたためたことまであります。

 それはともかく、この日は今頃になって「そうだったのか」と気がかされ、痛く反省し、即座にクコの剪定を中断。「道しるべ」作りに手を着けています。「1〜2時間もあれば」と考えたのですが、なんと!下塗りや上塗りなどで足かけ3日がかりになりました。

 まず「道しるべ」にする板の選定のためなどのために、幾度か門扉脇とワークルームの間を往復しましたが、その間にも思い出したことがあります。

 1986年の今頃、妻が、ほぼ完成していた建物に喫茶店を設ける案を持ち出した時のことです。その空間は、20人ほどで会食もできる茶話室として計画しており、什器も決まっていたのですが、唐突に喫茶店にしてはどうか、との話を持ち出したのです。私は条件付きで賛成しました。

 その条件の1つは、このような地域で喫茶店としてオープンする以上は、気まぐれな臨時休業はしないこと、でした。当てにしていた人の期待を裏切ってほしくなかったからです。つまり、同じトイレを使うなら、ゆったりした気持ちで使いたい、気に入った喫茶店などでレスト(Rest)したいという人がいます。だから「レストラン」というのではないでしょうか。

 2つめの条件は、「店内全面禁煙」でした。

 私の海外出張には年に一度、40日に及ぶ定点観測がありました。おのずと、あてにしていたレストランが幾つもありました。そのレストランが臨時休業をしており困ったこともありましたし、翌年度は「閉店では」と心配しながら訪ねたものです。

 「1〜2時間もあれば」と考えて手をつけ、上塗もしたところで、念のために公衆トイレまで往復してみました。小用の人は難なくたどり着けますが、下痢の人もいるでしょう。その場合を想定して、歩いてみました。その際に、良き目印(鳥居)があったことに気付かされ、下塗りからし直しています。さらに、当初は(WC)だけでしたが、これは国際表示?と心配になり、いったん取り付けていながら、取り外して、書き込み直しもしています。

 出来上がり、取り付け直し、妻に見せて喜んでもらえたときは「ホッ」としています。

 その上で、クコの剪定を完成させました

 ちなみに、一書にしたためたことトイレのない百貨店のごとき大きな店とは、イギリスのマークス & スペンサーのことです。衣料と食料が主ですが百貨店のような作りで、チエーン展開しています。1900年当時の年商は1.5兆円でしたが、喫茶部門がなく、トイレがないことを1つの特色としていました。ところが、この考え方は、いかなる理由であれ返品したくなれば「リファンド(払い戻し)」に応じる保証をするビジネスにも結び付けており、大きな店では各階にリファンドカウンターがあります。

 この店を支持し、健全に経営させているイギリス人の考え方に、いたく敬意を払い、一書に取り上げています。つまりトイレはないけれどリファンド保証することを最良のサービスと考える人が多いイギリスに対して、「さすがは紳士の国」と思ったのです。ちなみん、アメリカの百貨店にも、日本のようなトイレを期待することはできません。

 

紅梅の剪定を仕上げ

クコの剪定 剪定前

取り付け直し

クコの剪定を完成させました