本当の資産

 

 アイトワの生き方は、「清貧」×「工夫と努力の積み重ね」=「清豊」なる方程式で成り立っています。その現実化を、私はライフワークにしましたが、それは今や踏み出している次の時への備えでしたが、「文明病にさいなまれない生き方」の追求でもあったわけです。

 「文明病」とは、「属性」にこだわる人間に仕立て上げられてしまい、肝心の「本質」を忘れ去らされがちになることです。

 たとえば野菜や果物。その本質は安全性、栄養価、美味しさ、あるいは食べる喜びなどでしょうが、その形、色、軟らかさ、あるいは大きさなど属性にこだわりがちなヒトに仕立て上げられてきました。それは、おのずと、属性を良くするために農薬漬けのような育て方に走らせ、本質を台無しにした代物を競って選ぶヒトになっていたわけです。

 抗菌グッズなどを流行らせ、免疫力などを欠いた体のヒトに競ってなり、たとえばアトピーなど(豊かな文化に即して生きていた時代には悩まされなかった病気に悩まされるなど)まるで自家中毒でもあるかのような苦しさを味あわされがちになってきました。

 こうしたことを1つ1つ丁寧に見詰め、その根っこを掘り下げてゆくと、自然と見えてくるものがあるように私は感じています。その1つは、文明は(文化の時代が大切にしたものを疎かにさせることで)本当の資産を見失いがちにする魔力を秘め持っていた、ということです。

 一番大切な資産は(野生動物は今も、これだけで生きている)自然資産ではないでしょうか。「文化とは(その本質を掘り下げてゆくと)自然資産を損なわせないようにする方向へとヒトを誘ういわばエネルギーを秘め持っていた」ことに気付かされます。文明病は、その約束事の必要性をうっかり忘れさせる甘美さを秘め持っており、自然資産そのものを損なわせます。

 人間は野生動物と違って、自然資産だけでは生きてゆけません。衣服、家屋、あるいは調理した食べ物などが必要です。つまり、豊かな文化を育てながら、ヒトから人になったわけです。その過程で、野生動物のように単独では生きにくい存在であったのに、余計に自己責任の下に、自己完結した生き方をしにくくなっており、助け合いが必要になっています。つまり、人的資産が不可欠な生きものに自ら仕立て上げてきたわけです。

 いまだに文明病にかからず、文化に基づいて生き方をしている人々は、その典型例は貨幣など用いずにアマゾン奥地で自給自足生活をしているような人たちですが、今も自然資産と人的資産だけを大切にして生きています。

 ところが文明病にかかり、文明病が広がると(水や空気を汚染しても平気にされ、弱い生きものから順に絶滅の淵に陥れるなど)自然資産をそこないやすい方向へと走り出したくなってしまいます。たとえば、核家族化を進め、晩婚化や未婚化を進め、やがては家庭を崩壊させるなど、人的資産を台無しにしてしまいがちです。あえて言えば、自然資産と人的資産を台無しにしながら、経済的資産一辺倒の人にされてしまいがちです。

 それが、貧富格差を広げる根本原因です。平たく言えば、甘言をもって進められてきた(水道、下水道、あるいはボトル入りミネラルウォーターなどの)水政策。

 貧しくなる人は、水を汚す役回りを担わされる (例えば、水道が便利だと言って普及を願い、それまでは上水として活かしていたせせらぎを下水路にして下水道が必要だとを叫び始め、次第に高価につく水を飲まざるを得ない立場に自ら追い込んできた) などして、GDP押し上げに貢献し、それをもって豊かになったと錯覚してきました。電気まで、貧富格差を広げる手段に生かさせています。電源の寡占化に便利な原発を容認し、原子力村という集金システムの育成です。

 このたびの都知事選で、180万もの人が、即時原発廃止に投票したことで私は安堵しています。舛添さんは甘言をもって220万票を得ましたが、そして安倍政権を増長させましたが、それが日本の立ち直りを決定的に送らせたことに、やがて多くの人が気づかされることでしょう。たとえばドイツとは決定的に異なる立場や方向へと踏み出してしまったわけです。

 東京は日本中からお金を吸いあげるセンターです。いわば集金システムの胴元です。東京に本社を置く会社が多く、その多くは全国ネットの会社が多い。それは全国から利益を吸い上げ、東京都にも莫大なお金を、税金をえさせます。舛添さんはその金をばらまき、その金でいい思いをさせてあげる、と都民に語り掛けたわけです。それは、自然資産と人的資産を余計に損なわせる働きに、地方に強いることに結び付けることでしょう。