このところ毎年、喫茶店の什器を森さん(鷲鷹工芸)に補修してもらっていますが、それは山間部の喫茶店には不向きな家具を選んでからだと思います。まず、6人掛けの食卓であることです。しかも、白木造りであることです。
この家具は1985年の暮れに発注したもので、アルバー・アルトというフィンランドの建築家が150年ほど前にデザインしたものです。今も同じデザインで営々と造り続けられていることでしょう。すでに何万セット、あるいはそれ以上が大量生産されたのではないでしょうか。
アイトワの買い求めたセットは、すでに延べ30万人近くの人に使っていただきました。この間に、何十回となく訪れていただいたお客さんや、毎年決まった時期に訪ねていただけるお客さんもあります。アイトワ塾だけでも数10回のパーティに生かしてきました。
こんな「ドラマ」もありました。随分古い話ですが、「このケーキを初めて食べたのは、あなたがまだ私のお腹の中にいたときです」と母が娘に語りかけた親子を迎えたことです。きっと、同じ席に座ってもらえていたのでしょう。この話を妻から聞かされた私は、たしか1988年初夏のある強烈な思い出を振り返っています。イギリスのイートン校を訪ねた思い出です。
その薄暗い教室には古い木製の勉強机が並んでいました。そして、その1つの小さな椅子に、不遜にもちょっと腰かけ、掌で机をなでました。
「ジョージ6世はこの机で学びました」そして「チャーチルが使ったのは、この机です」などと聴かされたからです。この時に、その教室にはムチ(フイップ)が飾ってあったことを知りましたし、フイップボーイという言葉も覚えました。
気弱な子を鞭打つのはかわいそうだし、イギリス (では戦争が生じると、時の皇太子も戦線に投入し、危険な任務に就かせますが、)
とはいえ、ジョージ6世を鞭打つのはどうか、となるのでしょう。しかし、ときには体罰
(はイギリス人にとってはとても重要であったのでしょう)を加える必要があるイタズラを、皇太子とてしかねないはずです。
そのような時に、気弱な子やジョージ6世の身代わりのようにしてチャーチルが鞭打たれた、というのです。きっと気弱な子やジョージ6世を「僕はチャーチルよりもっと悪いことをしたのに」と震え上がらせたことでしょう。この見せしめに起用される子はフイップボーイと呼ばれます。いわば先生に「その価値あり」と認められた少年であるわけです。
日本の廃校などに行けば、朽ちかけたり、捨てられる寸前であったりする椅子や机を見かけますが、それとたいして変わりがないほど古びて見えたこの什器がとても大切にされていました。なぜかそれらが、私には特別貴重なモノヤコトであるかのように思われたものです。
アイトワでは、事情があって身分不相応なアルバー・アルトのテーブルや椅子を選び、しかも喫茶店で使うことになりましたが、やがて「れでよかった」と思うようになっています。その第一は、時々「こんなところでアルバー・アルトに座れた」との声も上げてもえる人がいるからです。次の理由は、もちろんケチな発想から始まっていますが、これまで以上に家具を大事に用いるようになり、その真の意味に気付かされたからです。補修のおかげです。
この背もたれがないアルバー・アルトの椅子と、一見しただけでは見まがうような椅子を妻が買い求めて来た時に、その感をとても強くしています。卑しい話しですが、その代金は、アルバー・アルトの椅子を森さんに修繕してもらう代金より安かったのです。
もちろん、修繕してもらった動機は、その代金でアルバー・アルトを使い続けられる、と思ったことです。つまり、修繕代金の20倍以上もするアルバー・アルトの椅子を「よみがえらせることができる」と考えたからです。しかし、出来上がってきた椅子は、修繕した跡がアリアリと見てとれました。その痕跡を見つめながら、すぐにもっと高尚な気分にされています。
この修繕代は安い、と感たわけです。まず、痕跡を分からないようにしようとして、木質など属性を厳選すれが、もっと高くついていたことでしょう。そうではなくて、焼き物の「金接ぎ」ではありませんが、手のぬくもり、と言っていいのでしょうか、個別性と言い直した方がよいのでしょうか、そうした付加価値が余計に増したかのように感じたのです。妻も、「大事に使っているんだ」と一人でも多くの人に気付いてもらえたら「嬉しい」と喜んでいました。
ですから今年も、これまで通りに、まず私が丁寧に傷を探し出して森さんに電話を入れています。なぜか森さんに修繕してもらうことによってわが家のアルバー・アルトが、造った人の顔が見えてくるような代物に、温かく感じられる什器に生まれかわったかのように思われて、より愛着を抱くようになるからです。
このたびの補修では、森さんは補修した椅子の座の裏面に、年月を鉛筆で小さく書き込んでいました。そこで私は、今後はもっと大きな文字で、しかも墨で書き込むだけでなく、署名も入れてほしい、と頼みました。もちろんこの依頼に妻も賛成です。署名入りの銘々器、つまり世界のどこにもない唯一の家具になるわけですから。
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