文明病
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近代の人間は生活習慣病に悩まされていますが、犬にも適応できそうな事例があります。かつては愛犬を放し飼いしていましたが、その時には悩まされずに済んだ問題です。そのご、鎖につないで飼うようになり、野草すら勝手に食べられない生き方に陥れており、それが生活力を大幅に減退させかねないことに気付かされています。 鎖につないでも、個体差はあります。ハッピーは良かれと思って餌をことごとく食べきりますが。金太はよく残します。ケンのごとく、ことごとく食べきるだけでなく、食べた後はすぐに寝そべってしまい、鎖の範囲で行える運動さえしないのもいます。 ヒトの場合は鎖につながれていないのに、勝手に生活習慣病に感染しますが、それはお金という目に見えない鎖がおおいに関係しているのではないか、と私は勘繰っています。それはともかく、生活習慣病は文明病の1つでしょう。 人はかつてヒトでした。原始時代はイヌやウマと同じように自己責任の下に、自己完結する生き方をしていました。そのころはいわゆる成人病などなかったでしょうし、いわんや生活習慣病なんてなかったはずです。つまり、今日流の文明病なんてあろうはずがありません。もちろん、禄高に寄生する人たちを除いて、失業者問題もなかったはずです。 文明病は、不自然な生き方が蔓延させる感染症のようなものだと私は見ています。石炭や石油とか、美しい水や空気をはじめ、自然をむしばみながら自己責任の下に自己完結する能力を自ら見失うことがその初期症状であり、次第に重症になる病気です。 余談が過ぎましたが、この火曜日の談論風発時に「飛び出した話題」も文明病の一環でした。それは、私がここ数年にわたって実施してきたボランティア活動が抱え持つ問題点の指摘です。談論風発に参加した友人は、いずれもこの活動を目の当たりにしています。それだけに「心配事がある」と話題がかわり、その内容を聞かされて私は感激したのです。 また前置きから始めざるを得ません。私がこのボランティア活動にことのほか熱心になっている背景の説明です。 わが国が高度経済成長軌道に乗り、それ行けドンドンになった1962年に私は社会人になっています。幸か不幸かいち早く私は業績をあげる秘訣に気付き、何かにつけて良き選択と決断を繰り返せたようです。商社時代と次の転職先であるアパレル時代はその秘訣で難なく過ごしています。 その後、この秘訣はおかしい、このような秘訣が通用する工業文明時代は早晩破綻するに違いないと思うに至り、サラリーマンを辞めますが、その時に頭にあったのがこの文明病です。 まず秘訣とは、「ヒト」が「文明の人」になれるようにすれば儲かる、という方程式でした。要は、身も蓋もない言い方ですが、1人でも多くの人を自己責任の下に自己完結する能力を不要にするようなモノやコトを思い付き、現実化すればそれが利益の源泉になる、との気付きでした。 例えば、おこげや生煮えを作って謝らずに済む電気炊飯器、味付けで文句を言われずに済む即席ラーメンなどの開発と、買い求めたくなる仕掛けや手軽に買い求められる装置の普及です。間違いなく高度経済成長軌道は、この方程式で成り立っており、それが文明化を進めました。その結果さまざまな弊害が露わになり始めます。 その弊害の広がりを私は文明病の蔓延と見ました。多くの人々は進んで感染源に群がり、文明病にかかって行きました。ファッションシステムという社名を定め、子会社を作らせてもらっていた私は蹉跌です。もちろん良かれと思って進めていたことですが、今にして思えば文明病のウイルスを攪拌していたようなものでした。 そこで、サラリーマンを辞めて、文明病から立ち直る方程式の追求と真剣に取り組み始めます。その新しい方程式に自信が持てはじめた時に、短大からお呼びがかかりました。短大では、新しい方程式を用いて仕事に望み、期待したように事を運べたように見ています。 このような背景のもとに、始めた活動があります。それがこのボランティア活動です。文明病に気付き、不安を感じ始めた1人でも多くの若者に、文明病に感染しなくてもよいようにするかつどう、いわばワクチンを接種するような活動です。 参加する学生は、自己責任の下に自己完結する生き方を求めており、万一怪我をしても自己責任の下に完治に勤め、それも勉強と見て学び取ることでしょう。その気構えで取り組んでもらっています。過去、通算すれば10年近くは事なきを得ています。 だからと言って、ことが生じたら「親ごさん」や「教師」とか「社会」はどう思うでしょうか、との指摘が飛び出したのです。私は「ハッ」とさせられました。 その「親ごさん」とか「教師」といえば、多くは私がサラリーマン時代に、『ニューファミリー』という言葉などを駆使して散々社会ぐるみでもてはやし、つまり、その創造性を無視するファッションで感化し、自己責任の下に自己完結する生き方から遠ざかれるようにしてきた世代ではないか、との気付きです。つまり、文明病に感染させてきた世代ではないか、との反省でした。 おりしも、日本エッセイストクラブの会報が届いていました。そこには私が寄稿した一文も載っていました。それはこのボランティア活動の紹介であり、文明病に気付き始めた若者との触れ合いを記していました。 |