100年前の日本

 

 直筆の草稿や手紙が出てきたわけです。実は、私はアインシュタインがプリンストン大学の教授時代に過ごしたという(地階のある)4階建て木造の白い館に逗留する機会を得たことがあります。それだけに、なぜか1920年に記したというその草稿文が余計に心に響いてくる気がしました。およそ100年前の日本人をアインシュタインは見ていたわけです。

 私には70年ほど前の日本人しか知りませんが、中にはアインシュタインが見たような人がいました。私が住みついた村には大勢いたように思います。

 村には性差別さえ戒める法華経を唱える寺があります。疎開してきた当時、その住職代行(住職が急逝した)や、この住職代行にとても優しかった住職の息子(急逝した住職の妻はとてもつらく当たっていました。その息子は後に住職となり、数年前に逝去)に、私は感化されるところ、大でした。観光寺院化や、葬式佛教を嫌っていました。ですから仏教界と決別し、控えめな拝観料をとり始めましたが、地域一帯への還元(美化活動)に勤めました。

 わが国は太平洋戦争を「大東亜共栄圏」をスローガンにして戦っていながら、近隣諸国から恨まれています。言っていることが、考えていたことと一致していなかったのでしょう。この住職代行や住職の息子は言行一致の人でした。

 100年前の日本人はどうだったのか、と気になり始めました。言行が一致しないリーダーの下では、部下は、いわんやその部下より下の者はひどい目に合わされます。

 その典型が人種差罰や身分差別です。それは酷いことをする部下の問題ではなく、言行不一致のリーダーの問題です。なぜかアインシュタインに想いを馳せながら、こんなことを考えました。それはきっと、アインシュタインが詩人タゴールと対談した時に、人間中心主義を諌めたことがあったことを思い出したからに違い合いません。

 私は、地球人としての認識のもとに、生態系の一員であると自認することを理想としています。もちろんそれは、その域に到底達していないことを自覚しているからです。