第3次世界大戦
 

 

 太平洋戦争では東日本の働き盛りの男を次々と刈り出し、戦地に送って犠牲にしました。その冷たい扱い方に似たことが、原発事故問題で繰り返されているようです。

 そもそも、中国侵略や太平洋戦争を意気揚々と起こす必要などあったのでしょうか。石油などの資源を求めて武力戦争を画策し、植民地政策に乗り出す必要などあったのでしょうか。

 敗戦後は、加工産業立国で復興しましたが、資源小国であったが故に有利に立ち回れた一面が大きかった。だぶつく資源を好きなように安値で買い求められたのだから。

 要は、日本は時代の転換を読み間違い、武力戦争に走り、国民をさんざん傷めつけたわけです。そのありようはまるで大詐欺行為ではなかったでしょうか。勝てば大儲けとそそのかし、威張り散らして国民を賭場(武力戦争)に誘い込み、命まで削らせてしまったようなものです。

 この真の姿に、これから国民は気付き始めるのではないでしょうか。その意味で「ごちそうさん」は画期的なドラマである、と思います。かつてアメリカは、これと似た転換期がありましたが、それに似たキッカケになれば、と願わずにはおれません。

 それは入植者と原住民の関係です。かつては原住民を加害者に仕立て、騎兵隊を賛美していましたが、ある時期から意識や態度を改める映画や物語が出回るようになっています。「ごちそうさん」はそのわが国における役割を担いそうだ、と期待しながら愛観してきました。

 そこで思うのですが、今は異なる戦争が生じています。工業社会といかに上手に決別し、次なる時代に移行できるか否かが問われている経済戦争です。この戦争は、国だけでなく国民にも小競り合いを超越する包容力が問われている戦争です。この点に気付く必要があると思います。

 生きとし生けるものの共通の敵と戦っている戦争であるからです。つまり、自分たちが蒔いた悪しき種、環境問題、野生生物絶滅問題、資源枯渇問題、あるいは人口爆発問題などを「生きとし生けるものの共通の敵」として戦わなければならない戦争です。

 この戦争に勝てなければ、私たちの孫子の未来はありません。これまでの戦争なら、私たちの孫子のために偏狭になり、人類という仲間同士で競い合えば済みました。しかし今や、そのようなのんきなことが許されない時点に差し掛かっています。

 安倍総理はキット、ここらのことに気付いていないしょう。だから偏狭な気持ちに国民を意気揚々と誘導する古風なやり方、もはや化石化すべきやり方で、国民をまたぞろ巻き込もうとしているのではないでしょうか。心配です。国民は包容力を奪われつつあります。

 日本人は賢いはずです。早晩、この茶番劇も崩壊し、日本人の恥を国際的に晒しただけに終わることでしょうが、そのツケはまた国民に回ってきそうで、心配です。

 太平洋戦争は諸国に武器と兵士をばらまき、帰依させようとしましたが、経済戦争では金をばらまき、帰依させようとしています。でもそのバラマキ方は、 言行が一致していません。

 卑近な例になりますが、安倍総理は従軍慰安婦問題の河野談話について、啖呵を切りました。その言行が一致していたか否か、一致させられるか否か、を世界中が見守っています。

 今や日本は孤立化しつつあります。虎の威を借りて偉そうな顔をしてきましたが、その虎にも失望感を与えつつあります。きっと、金の切れ目が縁の切れ目のような羽目に陥りかねませんが、そのようなことがないことを、切に願うばかりです。