ショバ屋の兄ちゃんや通天閣
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このドラマに登場する(戦後のやみ市を仕切る)ショバ屋を見ながら、アパレル時代を振り返っていました。クレーム問題を通して触れ合ったヤクザをしのび、懐かしんだわけです。 要は、この人たちは、法で定められていない利権をむさぼっているかのように見えがちですが、「その無法をもって」一概に非難できない一面を持っている、と感じさされた体験です。このドラマでは、その点を上手に表しており、楽しかった。つまり、無法地帯の秩序をいかにして守るかという上で、とても大事な役割を担っているのです。さもなければ、多くの人が従うはずがない、と感じさせられたほどです。それなりに、キチンとしたところがあるのです。 私が触れ合った人たちは全員が、このキチンとした道理をわきまえた人たちでした。その理を、根気よく順を追って解明してゆくと、「人の道」が明らかになるような心境にされました。そこをはしおり、ということは「人の道」をこちらが外れたら、酷い目にあわされかねません。いわゆる自業自得ということではないでしょうか。 ここらあたりの心境は『ブランドを創る』に綴りました。こうした人たちに呼び出された部下をアジトに送り出す前に「腕の1本でも折ってもらいなさい」と切り出し、勇気づけており、その機微を心得た部下が事なきを得た事例など、その好例です。 むしろ、法とは、こうした無法をキッカケにして制定されがちですが、それがより陰湿な問題が生じかねないような印象さえ抱かされたものです。いわゆる許認可権などの問題です。つまり、合法的に不労利得を吸い取る仕組み作りのキッカケとして生かされかねない、と言いたくなる(新たな問題の温床になりかねない)問題です。 そうした問題が溜まりにたまって今日の諸問題が生じたのではないでしょうか。つまり今日の諸問題の多くは、こういた温床が生み出させたとみてよいのではないでしょうか。この点は、やがて明らかになるでしょう。その典型例が環境問題です。 このドラマの通天閣は(ドラマでの)今、満州にいますが、この1週間の(ドラマの)成り行きから、次週には帰って来そうな気になってきました。それだけに目の離せない一週間です。 彼は、国民を救いたく思って判断してとった行動が、国民を思うように生かして自分たちの利権を守ろうとする人たちの意向に反していました。ですから、いわば死地に追いやられたわけですが、その理不尽をこのドラマは明らかにするのではないでしょうか。それを期待する私は、誰がどう言葉にするか、を見守っています。 先週までは「ごちそうさん」に明らかにさせるに違いない、と見ていたのですが、今は通天閣に上手にさせそうだ、と思い始めています。それだけに目の離せない一週間になります。 |