「町の探検」

 

 リュックを背負って出かけており、とても満足げに帰ってきていました。私は幼いころを振り返りました。疎開してきて間なしの頃、母に連れられて歩いていた時のことです。釈迦堂(清凉寺)の山門が忽然と現れたような気分にされて、驚いています。

 明範クンは、やや鍵っ子的な側面がありそうです。テレビを見て過ごす時間が多かったり、人為、人工、そして人造的な産物を見て回ったりする町の探検が好きなようです。もしそうなら両親の失敗ではないか。その思考は、両親の思考方法とはまったく逆ですですから、失敗ではない。国の政策の失敗です。都市に人口集中させ始めたときに、他の文明圏では打ち始めた手があります。ドイツのクラインが流転やソ連邦のダーチャが有名です。郊外の自然豊かなところで休暇を過ごさせる政策です。

 金曜日は、午後から好天になりましたが、明範クンは屋内に留まっています。私は、5歳の後半からここに来ましたが、部屋の中などでは過ごせませんでした。しかも、街ではなくて山に向かって飛び出しており、山の幸をむさぼっています。

 当時は、多くの子どもがそうした思考でした。なぜか、スズメバチの子どもを食べた日を思い出しました。大杉リーダーは、明範クンと同年でしたが、見事にスズメバチの巣を落とし、白い子を取り出し、子分である私達に分け与えてくれました。

 その要領は(前にも触れたかもしれませんが)長い竹の先にナスビを突き刺し、ナスビを焚火で焼き、その焼きナスでスズメバチの巣を攻撃する方法です。スズメバチは、焼きなすに反撃し、ポトポトと次々と落ちてきました。落ちて来なくなってから、巣を落とし、割って子を取り出し、生で吸い込んだり、焚火で炒って食べたりしました。

 余談ですが、後年のことです。私の目には、原爆の向こうにアメリカが見えましたし、そのアメリカの向こうに、アメリカを立ち上がらせた日本の軍部が見えました。つまり、そうしたものが自動的に見えてくる目を授けられていたことに気付かされています。

 その軍部の責任者を祭る神社に安倍さんは参拝し、世界の顰蹙を買っています。その最期に何があるか、も見えているつもりです。もちろん、安倍さんが画策したり、あるいは踊らされたりしている先も見えているつもりです。ところが、日本の若者の中には、この安倍さんの挙動に賛意を示す人が増えているとか。

 明範クンは今、分かれ道にたたずんでいるように私の目に移り始めています。