相当量の脳内モルヒネが出た

 

 エンドルフィンと呼んだ、と記憶していますが、この脳内モルヒネをこの日は、私はとりわけ大量に出せたように思います。

 人体は脳内モルヒネをさまざまな局面で出す仕組みを持っています。悪しき局面として大怪我をあげられますが、このケースでは鎮痛剤のごとくに出します。その対極のケースとしては、創造能力を発揮できたときがあがられるでしょう。この場合は高揚剤として出すようです。この対極のケースを(悪しきケースに対して)善きケースとは言えないところがミソです。たしかこのあたりを、ワイルドは「貴族にとっては芸術、庶民にとっては犯罪という領域がある」といったような表現で表していたように思います。

 たとえていえば、安倍さんは靖国参拝を(尊崇の念と表現して)画策し、脳内モルヒネを少々分泌し、その恩恵に酔ったことでしょう。対して、米・韓・中などは逆に、鎮痛剤のごとくに分泌しあい、同情の念に目覚めたのではないでしょうか。なぜなら、米は、安倍さんの靖国参拝はサンフランシスコ平和条約の精神に真っ向から反する選択と決断、と見たに違いないからです。他方、韓・中は、日本軍による被害を最も受けた国々でありながらサンフランシスコ平和条約には加えてもらえておらず、その不条理まで思い起こしたのではないでしょうか。

 それはともかく、勤労は脳内モルヒネとの関係で「自覚すべきこと」があるように思われます。その典型例が庭仕事だと見ています。責務と思えば辛い時間ですが、4次元芸術だと気付けば(2次元の絵画や、3次元の彫刻よりもはる没頭させられる)これほど楽しい時間はありません。

 被災地救済のボランティア活動も、いかに高揚剤として脳内モルヒネを出せるようにするか、が(5W1H上で)大問題だと思います。

 つまり、脳内モルヒネの認識と活かし方は貧富格差拡大の一面からとらえておくべき重要な課題だと思います。

 この日の除草は、スズメノカタビラを見つけると(すでに花を咲かせていますから)「来年の100本」に見えることから始まりました。即しゃがみ込んで抜き去りましたが、しゃがみ込むと老眼の目にも、その周辺により小さな「来年の100本」が沢山生えていたことが分かりました。おのずと除草に精を出し、躍起にされてしまいました。その躍起が脳内モルヒネの分泌を盛んにしたようで、頭の回転がフル展開したようです。