「キンギョと約束」
 

 私は、ここ小倉山のすそ野に5歳で疎開してきたときのことを振り返っています。今にして思えば、「伯母の教え」の受け止め方が、母と私とでは雲泥の差があったように想い出されます。もちろん当時も、幼児ながらに感受性でそう感じており、それが健康的に「母離れ」をさせたように思っています。少なくとも男の子にとって健康的な「母離れ」はとても大事なことだ、と感じています。

 明範クンはすでに10歳だし、お母さんに「べったりタイプ」ですから、幼児としての感受性のみに期待するだけではラチガアカナイように見ています。

 聞き分けのよい子どもですが、おたぶんに漏れず、どうしても私の言いつけに忠実であろうとしがちです。そうではなくて、金魚やメダカ、さらには「物言わず、動けない植物」との約束、強いていえば「自然の摂理」との約束が次元を超えて大切である、との認識が求められる、と私は思っています。いわゆる「お天道様が見てござる」です。

 案の定、明範クンは「金魚の餌やり」は思いついても、黙って見ていたら「植物の世話」を忘れていました。

 このまま机の上の勉強を重ねても、「茶坊主のごとき側近」には優しくなれても、遠方の「第一線で戦っている兵士など」のことには連想が及びかね(ず、飢えや疫病で苦しめた日本軍の幹部のようなエリートになりかね)ない、のではないでしょうか。