記念すべき日
 

 

 朝、「1時間ほど時間があります」といって哲範さんが、庭に出ていた私を呼び止め、初めて「何かできることがありますか」と積極参加を表明しました。「いくらでもあります」と応じて、ロックガーデン(かつては自然石をふんだんに使った一角でしたから、今もそう呼んでいます)の周回路の掃除をしてもらうことにしました。ブロアーなどを持ち出して落ち葉などの掃除と除草です。

 そこで、道具を取りに(パーキング道を通って)温室など道具の置場に行きましたが、その道中で目についた草を抜いています。目についたときに(とりわけ実を結んだりした草は)処置しておかないと、後で探すのは大変だし、忘れかねません。この時の草の中に、自然生えのスミレもありましたが、「今日は(スズメノカタビラやハコベと一緒に)捨てましょう」ということにしています。

 次いで、掃除に移ってもらう前に、私が手本を示しました。そのうえで、掃除の前と後でどのように変わったのかを見せて、確かめてもらったのです。次いで、何をもって「美しくなった」と共感すべきか、アイトワ流の願い(エコライフガーデン・生命維持装置として機能させる庭として)の美しさの一端を説明しました。

 いよいよ哲範さんの庭掃除が始まりました。私は声が届く範囲の他のところで、異なる仕事に勤しみましたが、途中で幾度か声をかけ、手を休めて側に来てもらっています。その時々に気が付いたことを、実例をもって示したかったからです。その一回は「言われたとおりの掃除をすればよいのではありません」との注意でした。次に一回は、掃除をしながら「さまざまなことに気付く必要性です」。その1例として、「この一角は、このままでいいのか。もっと良くすることは出来ないか」と自問することがし大切、とだけ言って元の作業に戻ってもらいました。その間に、私はそこに野生のスミレを植えこんでいます。後で、哲範さんが考えたやり方と、心の中で比べてもらいたかったからです。

 「ここに用いた(野生の)スミレは、かつて庭掃除の途中で見つけた自然生えのスミレを、捨てずにポットで育ててきたものを用いました」と注釈を付けました。そうと聴いて、来年の今ごろの光景が目に浮かぶようになってもらいたい。きっと一面は、小さなスミレの園になっていることでしょう。そうと気付き出すと脳内モルヒネが潤沢に出始めるのではないでしょうか。

 かくして、哲範さんの庭での作業が始まりました。要は、生命維持装置として機能させる庭を、サラリーマンしながら(など、何かの仕事の傍らで)創出する秘訣に気付いてもらおうとしています。それは小さな「選択と決断」の積み重ねが求められる方程式、

 「清貧」×「工夫と努力」=「清豊」の説明でした。

 ハッピーの新事件も、記念すべき日にさせました。脚も丈夫になり、大胆に行動範囲を広げ始めました。これまでの制御装置を力ずくで破るようになったのです。

 私の選択と決断は、それをくり返すと「痛い目に合わせる」やり方です。しかし、妻は賛同しかねる、との顔です。ゆっくり話をしている時間がありませんから、やむなく「ひもで繋いでみては」と助言すると、「忘れていた」とばかりに、この案に従っています

 アイトワの「愛とは?」の問題です。

 

周回路

周回路

周回路

野生のスミレを植えこんでいます

野生のスミレを植えこんでいます

制御装置

この案に従っています