先週末からの6日間に、アイトワ塾の関係で嬉しいことが6度も生じました。その第1弾が伴(休塾生)一家の来訪です。「自然計画で知った」といって、明範クンが通い始めた小学校の先輩(2人の子どもが通っている)家族として、一家4人で訪ねてもらえたのです。
つまり、伴さんの提案で、先週末の朝一番に、両家族を引き合わせることができたのです。校風などいろいろなことを学ぶうえで、とりわけ未花ちゃんにとってはありがたいことでしょう。
その折に、妻はさまざまな色に染め上げた絹のかせ糸(見本染めでしょうか)などを伴さんからもらい、その発色の美しさに私も目を奪われた次第です。
次いで、前倒ししたルーチンワークです。よくもまあ、13年にもわたって一週も欠かさず、こんなに続いたものだと思います。第667回目の作業に後藤さんと当たりました。
そして第3弾。大本山建仁寺の塔頭・霊源院で催された特別展示会に出かけました。アイトワ塾生の野中健二さんが創業した秦流舎(弓月の名でブティックも展開)が創業20周年を記念した催しです。多様性に富んだ極めて粋な着尺と帯地が並んでいましたが、そこには統一した美意識が貫かれており、その一貫性がとても心地よくおもわれ、心を惹かれました。建仁寺の広い境内をアイトワ塾の仲間4人でそぞろ歩いたのもよかった。
幹事の舞鶴さんからもらえた電話も嬉しかった。次週の月曜日にアイトワ塾がありますが、その夕食として哲範さんのお弁当を試しては、との意見が塾生から上がったとの知らせでした。アイトワ塾は25年にわたって、1カ月も欠かさず、回を重ねてきました。そのありようは(まず7時からのお弁当から始まり、勉強、そして、早くて10時、遅いときは11時前後から始まるフリーディスカッションで)変わらず、です。変わったことがあるとすれば、お弁当の中身とフリーディスカッション時の飲物で、当初は特定の寿司屋の出前(ちらし寿司)から、その寿司屋の都合で今の姿に。そしてビールから、小泉政権時代にコーヒーに替わったぐらい、です。
木曜日に葉子さん(伴夫人)が、2人の子どもを連れて、2本の野菜の苗を届けてくださった。黒いトマトとミニトウガンの苗ですが、とりわけ妻が黒いトマトを、料理の色合い、として喜びました。これを期に、第2次のトマトの畝をどこに用意するか急いで決めます。
そして予期せぬことが生じました。金曜日の午後のことです。アイトワ塾誕生のきっかけを作った服部さんが、再婚した夫人同伴で来訪。わけあって、塾生としては何年も前に分かれましたが、その後、病に倒れてとの聞いており、心を痛めていました。言語障害は残っていましたが、かいがいしい夫人の世話で顔色もよく、安堵しました。
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