あれほど言って聞かせた

 

 私の指示であるからキンギョやメダカに餌をやったり、野菜の苗に水をやったりするのではなく、野菜の苗やキンギョやメダカの要請に従って餌や水をやるように、と言い聞かせておいたのですが、自分の都合で(義務的に)与えていました。このあたりは知性と感性が関わる問題であろうと思われます。

 要は、幼児期から自然の摂理に接する機会に恵まれず、あるいは自然に対して畏敬の念を抱く機会に恵まれなかったことが関係しているのでしょう。イソップ物語ではなかったか『田舎のねずみと都会のネズミ』が思い出されました。

 もっとも、やむおうえずから出た「次善策として」、であったのであれば、やむおうえません。そうではなく、自分勝手な時間を見計らって餌を与えたり水をやったりしておきながら、一人前に「役目を終えた」と思っているかのようなフシがみられたのです。

 実は、母親の未花さんは、パタゴニア社の創業者(イヴォン・シュイナードさん)に30分も熱弁を震わせた人です。パタゴニア社とは、たぐいまれな会社ですが、それは未来志向をしている証とだと見て、私は関心を持ち続けています。例えば女性問題。

 女性の能力を高く評価しており、優遇しています。その出産や育児の関係で働きにくいということがあってはよくない、と考えています。ですから、本社敷地の大事な部分をデイケア―施設に割いています。そして、母親の仕事の都合と赤ちゃんの腹が空く都合は一致せず、赤ちゃんの都合を優先すべき、との方針です。いわばそれが、自然の摂理であり自然に対する畏敬の念だと見ているのでしょう。未花ちゃんを引率した時の社長は女性で、会議の最中に授乳に立っていました。それは、大垣市女性アカデミーという10回通しの勉強会を小倉市長(当時)が立案し、講師に私を選んで下さった時代のことです。修学旅行先はアメリカでした。小倉市長存命中、5年間続きましたが、その一回で引率した4人の内の1人が未花ちゃんでした。

 未花ちゃんは、「このような会社に入りたい」との意見ではなく、「このような会社には入れる資格はなんですか」との質問をしたのです。

 このような想いが、子どもの明範クンには通じないのか、と私はすこし寂しく感じました。

 アイトワでは「誰かの願いや命令ではなく」、刻々と変化する自然が相手ですから、自発性が求められることを覚悟してもらいたく思っています。さもないとここで生きることが息苦しくなる。さもなければ天国のようにも出来る。

 人間が勝手に作ったシステムやヒエラルキーに忠実になるのも大切ですが、もっと大切なことがあり、それは自然の摂理や自然に対する畏敬の念だと思っています。すb手の人がそう思えるようになれば、南北問題は解消するでしょうし、文化が復興し、個性豊かの暮らし向きが復活することでしょう。その逆が、地球を蝕みながら、南北問題の加速化などです。

 そうしたことを実感として学び取ってほしいと願っていた矢先にハプニングを迎えます。

 それは翌日のことです。まず明範クンが朝の挨拶に来た折に厳重注意をしています。「明範クンは『野菜の苗やキンギョ』と『餌や水をやる約束をした』のだヨ」と念を押しました。ですあら、私が「やらなくてよい」と言ったとすれば、「助かった」と思う人になるのではなく、野菜の苗やキンギョのことが気になる人になってほしい、と願ったのです。

 次いでハプニングが生じました。温室に一羽の小鳥が飛び込んできたのです。その小鳥を捕まえて、明範クンに持たせました。きっと、小鳥の体温が掌に伝わったことでしょう。小鳥が恐れおののき、震えていることも分かったでしょう。逃げようとして足掻く力がとても強いことも知ったでしょう。小鳥の匂いもかぎ取ってくれたかもしれません。要は実感です。テレビからで知りえない、あるいは計り知れない実感です。

 この実感が先にあって、テレビが後になるのと、その逆では、雲泥の差があるのではないでしょうか。ちなみに、夕刻のことです。飛び込んできた初見の小鳥を実感してから、本で調べたところ、グロツグミだと分かりました。実感に基づく学習の有効性が、生きる力を身に着ける上でかなり大きく認められるとすれば、このハプニングのおかげで教育効果をあげられたように思ってよいのではないでしょうか。

 しかも、ハッピー事件が生じました。元気になりすぎて、抑止線をかいくぐり、超えるようになったのです。そこでまず、超えたハッピーをタケのムチでたたき、スゴスゴと自由圏に戻らせました。ハッピーは驚いたことでしょう。かつて痛い目にあわされてことがありませんから、悲鳴さえあげません(痛い愛撫だナ、これは逃げ出さなくては、と実感したよう)でした。その光景を見て、明範クンは震え上がったはずです。そこで、明範クンに選択を迫りました。

 ハッピーが表通りに出かねないことを見過ごし、事故に巻き込まれかねない危険を覚悟するか、それとも痛い目に遭せたくなくて、抑止線を超えないクセを身に着けさせるか、いずれかの選択です。その上で(明範君の父親・哲範さんが、ハッピーが抑止線を超えたところと、その力づくの方法を見つけていましたので)翌朝、明範クンが目覚める前に、ハッピー対策の手を打っています。
 

小鳥を捕まえて、明範クンに持たせました