教育効果

 

 先週、哲範さんと2人で鉈(ナタ)仕事に当たりました。その成果は、枯れ枝でつくった細い薪を、大きな1束にしたのをはじめ、スギの枯れ葉を詰めた2つの袋、あるいは薪の屑で満ちた2つの篭など、幾つかの単位になった燃料でした。その日は、それらをそのままにして屋内に引き取き上げましたが、天気予報通りにその夜は雨が振り出しました。

 翌日、哲範さんに、まず1つの「要注意」をしています。前夜雨が降り出した時に思い出してほしいことがあった、と伝えたことです。前日、そのままにして引きあげた薪のことを思い出し、濡らさずに済む軒下にでも取り込んでおくべきであったのです。自ら気付いて行動に移せる人になるのと、指示されて真面目に行動できることはともに尊いことですが、その積算結果には雲泥の差が生じる、と私は観ています。きっと、哲範さんは(そうすべきではないか、と)気付いていたように思われました。

 その後のことですが、土曜日の焚火で無煙炭化器には灰がたくさん溜まっていました。そして今にも雨が降り出しそうでした。この無煙炭化器に、雨除けの覆いをすべきではないかと哲範さんが提案してくれました。そこで、焚火の余熱を調べたうえで、最も手軽で効果をえやすい覆い(木の枝などを活かし、まるでテントのような覆い)の仕方を教えています。

 アイトワ流庭仕事のやり方は、サラリーマンしながら(つまり手に入れ得るサラリーと余暇時間の範囲内で)時間を有効に活かして理想を現実化する方式です。投資金額はわずかであれ、その膨大な時間と創造能力はとほうもない成果を生み出させます。

 その逆は、遊んでいるつもりで(レジャーランド、ファミコン、あるいはジャンクフードなどの仕掛けに)遊ばれてしまい、創造能力はもとより、想像能力まで見失わされてしまいかねない、と私は心配しています。結果はマイナス思考人間にされかねません。

 そのようなわけで、哲範さんに、男性がやや不得手なこと「修破離」についても話しましたし、幸島の「イモ」の話もしました。「イモ」とは、今では幸島のすべてのサルが実行するまでになって文化の話です。当時の成獣のオスは、ついにその恩恵に浴さずに死んでいった、と聴いている話でもあります。要は、1匹の赤ちゃんザルがなぜか餌付けのイモを拾って、海水で洗って食べるようになったことが発端です。それに倣って、同期の赤ちゃんザルが真似、次いでお姉さんやお兄ちゃんザルが真似、ついには母親やおばあちゃん世代までが真似たのに、時の成獣は、つまりお兄さんザル以上は真似ずに死んでいった、と言われます。