人間を嘆いたこと

 

 ある冊子で1969年にあった素晴らしい応対を知り、妻に読み聞かせました。素粒子を発見するために必要とされる巨大加速器の是非が問われたときの、アメリカでの原子力に関する上院公聴会で繰り広げられた応対です。

 アメリカの国防にとっていかなる役に立つのかと問われた折に、国立フェルミ加速器研究所の初代所長に収まることになったロバート・ウィルソンは次のように応じたといわれます。

 「加速器がもたらしてくれる新たな知見は、わが国を守るためにはまったく何の役にも立ちません。しかし、わが国を真に守るに値する国にしてくれます」

 これを逸話として有名にしたアメリカに私は感心し、妻に読み聞かせますと、恥ずかしながら妻に「いつも孝之さんが言ってることじゃない」とおだてられたのです。

 たしかに、私の持論とよく似ています。しかし、決定的に異なるところがありますが、妻はそれに気づいていません。

 私の持論は、江戸末期の日本がそうであったように、「この国はこのままソッとしておこう」それが、世界にとって一番良い、と思ってもらえるような国になることです。自国の軍備で守ったり、他国にすり寄って守ってもらったりするのではなく、あるいは日和見になって生き抜こうとするのではなく、手出ししても見返りが少ない国、にしてしまうことです。残しておく方が誰にとっても遥かに有利、と思ってもらえる存在になることです。

 要は、ソッと生かしておけばすこぶる有用だけど、やる気を失わせたら「ワシらが損する」と思ってもらえるような存在になることです。風光明媚な国にして、身も心をあらわれる、と思ってくださる人たちを受け入れられる国にするだけでなく、もてる余力を有効にいかす国になることです。たとえば、自衛隊員を世界で生じる「大天災(に駆けつける)救援隊員」にしてしまい、軍需予算をことごとく救援関連予算に切り替えてしまうなど。

 対して、ロバート・ウィルソンは、そうは考えていなかった、と思います。真に守るに値する国にして、アメリカの国防力増強機運をもりたて、貢献する、とでも言ったような考え方であったように思います。嘆かわしいことです。

 それはともかく、アメリカの多くの人々は、オバマ大統領が核なき世界を標榜する演説をチェコでぶち上げたときに拍手を送っています。しかし、今はプーチンの ウクライナでの横暴に悩まされるなど、オバマ大統領の地位が脅かされており、その髪にはめっきり白髪が増えたように見えます。嘆かわしいことです。

 その点、わが国はアメリカのような悩みごとに本来は脅かされずに済ませられる立場です。つまり、どのように逆立ちしようが、アメリカどころかロシアや中国にも軍事力では勝ち目はありません。中途半端な軍事力は、無用の長物であるだけでなく、禍のもとです。太平洋戦争の二の舞の原因になりかねません。