まず、玄匠先生との会話が楽しかった。コンシステントな人(アメリカなどでは人格者としての1つ大事な要素)とは、玄匠先生のような人にピッタリ当てはまるのではないでしょうか。その人が述べられたアイトワの庭に対する評価がとてもうれしかった。
前回、お訪ねいただけた折に、実は小鳥が井戸枠水槽で水浴びをしていました。次々とさまざまな小鳥がやって来て、それぞれなりの水浴びをしました。その様子を玄匠先生は見逃しておらなかっただけでなく、インスピレイションを働かされていた。その水紋が生み出させた作品、といって見せてもらえた新作がありました。
こうした喜びも得られた訪問でしたが、その前と後でも楽しいことがあったのです。まず往路では白髭神社に立ち寄り、穴(あの)太(う)積みと呼ばれる石組みを妻と観賞しました。前回の訪問時に見ていますが、その時の感動を妻にも味あわさせたかったのです。妻は私以上に味わったようです。また、そこから少し登ったところにある祠も鑑賞し、満喫しました。きっと石棺が収められていた跡ではないでしょうか。そこから琵琶湖を直視した位置に、鳥居が連なって立っていました。
復路では、前回は立ち寄れませんでしたが、穴太積みで造った棚田に踏み込み、各人なりの石組みを楽しみました。穴太衆とでも呼ぶような言葉があったのかどうか知りませんが、半島からわたってきた穴太積みができる農耕民が、棚田を開き、そのリーダーの墳墓をこしらえたのではないか、と思わせられ、古代に夢を追いました。やがてこの人たちは半農半漁になったのかもしれない。
道中での、瞳さんとの会話も楽しかった。とりわけ「兼農主婦」という造語を聞かされたときは飛び上がりたくなるほど嬉しかった。実は、妻が嫁いできた時に、給与所得生活とは決別させ、まず私は兼農主婦に育てようとしています。それが、私たちの努力(独力)だけで、真の豊かさを手に入れられる最短距離と見ていたからです。
まず経済面での豊かさの手に入れ方は『エコトピアだより』(小学館)で(事情があって私たちは無一文から始めたわけですが)詳細説明しました。その失策(不注意)も紹介し、もっと有利に手に入れる方式も紹介しています。
それよりも大切なのが、優先したのが心の豊かさです。「欲望の解放」から「人間の解放」を目指す人への転換です。それはちょっとした意識の養成と協力を得る努力が求められます。その努力を最も合理的い結実させるやり方が、兼農主婦ではないでしょうか。そのヒントは『自活のススメ』でも紹介しましたが、用検討事項だと私は信じています。
あえていえば、相対的貧困者に陥れられている人の多くは、「欲望の解放」を「人間の解放」と誤解させられ、女性でいえば兼農主婦なんてマッピラ御免、の心を持ち主にしたてあげられてしまったひと、と見てもよいのではないでしょうか。
玄匠工房では、岐阜から見えた兼業農家(干し柿造りにも携わる)と、予期せぬ出会いを楽しませてもらえました。干し柿が大好物の私は、ひょっとしたら、再会できるのではないか、と心ひそかに欲張った期待をしています。
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