妻は週初めに明範クンと一緒にトマトの挿し芽をしましたが、日照り続きで枯らしました。そこで私の出番です。
いったん傾けた努力は、何らかの意義ある結末に結び付けたい。第一、妻が挿し芽をしたことを知った時に感激しているだけに、「だめでしたか」では済ませたくなかった。
妻が挿し芽をしたと知ってハッとさせられました。いつの間にか私は「苗は買い求めるモノ」と思っていたからです。トマトは挿し芽が簡単にできる部類に属します。問題は、挿し芽をした後の管理にありました。日照り続きで枯らしていたのです。なぜ、明範クンにその旨を伝え、観察させ、挿し芽が危篤状態になるまでに、その旨を報告させなかったのか、と不満でした。
そこで、挿し芽のし直しをして、日照り対策の必要性を明範クンに教え、しかるべき手を打ちました。世の中には、いろいろな人がいます。誰かと一緒に挿し芽をすれば、日照り対策など教えなくとも、その後が気になって観察を続け、「萎れている」などと訴え出る子どももいることでしょう。そうした子どもが、アフガニスタンやイランなどで、大人の都合に巻き込まれて死んで行っているかもしれません。哀れです。
今週は、興味津々のコラムも目にしました。ある大学の教育方針です。私は「素晴らしい」と思いました。本当の優しさを身に着ける上でとても有効な方針でしょう。わが国では逆に、私の目には「とても冷酷なあり方」と思われることが、「優しさ」とか「上品」と誤解されて、蔓延しているように思われてなりません。平和ボケでしょうか。バチが当たりそうに思われてなりません。
|