妻のアイデア
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素晴らしいアイデアだ、と私は思いました。この作業に合流したころには、哲範さんはすでに野小屋の前あたりの掃除を終えており、私は1つの質問を投げかけられました。 側にオリーブの苗木を植えてありますが、その根元にほどこしてあったマルチングに関する質問でした。このオリーブの苗木は、水やりが不便なところに植え換えたばかりですから、根付くまで(土が乾燥するのを防ぐために)マルチングをしたわけです。出すから美しさは2の次になっていいたのです。つまり、その周辺から出た有機物(落ち葉はもとより竹の皮や枯れ枝まで)をすべてかき集めて、被せてありました。そのありようを哲範さんは「醜い」と見たのでしょう。私も「醜い」と見ていた旨を回答し、哲範さんの想うところを形にしてほしい、と頼みました。 かねてから私は哲範さんにも、気になることや分からないことがあれば、ドンドン質問なり提言をしてほしい、と告げてあったからです。質問にはすぐに対応し、私の考え方を示しています。つまり、この度は「ほぼ合格」と私の目に映りましたから、「綺麗になりました」と応え、「優先順位の大切さ」を語った上で、これで「ほぼ仕上がった」と見ていた哲範さんに次の作業に移るように勧めています。それは、野小屋にいたるアプローチの石畳道を掃除することでした。哲範さんは、哲範さんのやり方で、マーガレットの花殻の掃除などに移っていました。 私は、野小屋の前に留まり、哲範さんが掃き掃除まで済ませていながら、手を付けていなかった部分(周辺の木立に立てかけてあった古竹)に手を出しています。鉈仕事で燃料の束にしたわけです。この作業でまた一帯は散らかりましたから、掃除をし直しています。 この古竹は、庭めぐりをする人が見れば掃除の「過程(途中)」と見て、ほほえましく思ってくださるでしょうが、ここで食事をとることになった人の目には、掃除をした「結果」とは見えないはずで、掃除するのを忘れた部分、と映るに違いない、と見たわけです。 それはともかく、先にこの竹の存在に気づいて片づけていたら、一帯の掃除は一度で済んでいたはずです。この場合は逆に、「大局」を見逃し、「小極」にこだわったがために、「段取り」の悪さが出てしまったのではないでしょうか。大切さです。 いずれにせよ、久方ぶりに石畳道に並べていた植木鉢を片付けられました。その目的は、杖をついて歩く人が楽に歩けるようにしたわけですが、現実は片づけるというよりも、木陰に移動させて目立たないようにしただけです。問題はその後をどうするか、ということです。 石畳道も、落葉樹が茂ってしまい、もはや日当たりが良いところではなくなりかけていたことです。ですから私は、哲範さんがこのたびの「目的」をいかなる「手段」に生かそうとするかを、気にかけていたのです。要は、一刻も早く直射日光に当ててやるキッカケにして貰えたら、と願っていたのです。ですから、来客を見送った後で、動き出さなかった哲範さんにシビレを切らし、すぐさま日当りが良い屎尿タンクの上に私は移動させました。そして、哲範さんに今後は見習ってほしい、と願っています。 結局、この場所は使われず仕舞いになりましたが、哲範さんは喜んでおり、私も賛同しています。なぜなら哲範さんは、ランチの場として完成させたこの場所を撮影しており、アイトワにはこうした部分もあることを広報したい、と言っていたからです。 |