私なりの激
 

 私と違って、妻も「叱られている事実」の内容を分析するよりも、「叱られている事実」自体の方が気になってしまうようです。ですからいつも、気まずい議論(意見の応酬)に終始させられかねません。結果、その「叱り方は何ですか」とか「たかが頭巾のことで」と、やり込められます。この度も同様で、責任追及のように受け止められてしまったのです。

 でも、大概の場合は時間が解決し、お互いが反省してきましたから、「よくケンカをしますが」「そのたびに仲良くなってきました」とうそぶいてきた次第です。

 そこで、3人に檄を飛ばした折は、妻には第3者的な立場で位置してもらい、我ごとに想いを馳せ易くするように配慮しました。取り上げたテーマは、アイトワの生き方の確認であり、いわばここで生きる覚悟であり、資格でした。つまり、3人分働くことを求めて、完全燃焼を、つまり自己実現を目指してほしい、と訴えたのです。

 まず、清豊を目指すことが大切で、しかも3人分働くことが求められる、と思います。もちろんこの3人分は、汗水を流して手に入れる成果を3人分ですから、簡単ではありません。

 それは、まず清貧を覚悟して1.5人分働く必要があります。そして、1.5人分を「×2倍」にして3人分に相当する中身にまで高めるようにする工夫と努力が求められます。

 もちろん、キーワードを用いました。その第一は「大局着眼小局着手」です。次いで、この小局着手を×2倍にするための工夫として、「目的を手段にする」心構えと、「天候などの偶然を味方にする」心準備などを心がけ、「優先順位の大切さ」を忘れずに、「段取り」の良さを身に着けることではないか、と語りました。

 この自分自身の活性化が「自己実現」に誘ってもらう近道であるだけでなく、「ボケ」防止にも結び付くはず、と私は思っています。つまり、「ボケ」の多くがいずれ「贅沢病」の一環に組み込まれることになるはずだ、と見ているわけです。

 もちろん、これ以上は企業秘密ですから控えますが、あえて加えるならば、意見と事実の峻別を心がけておくことが第一ではないでしょうか。つまり、大局を認識できずに、小極着手だけに振り回されたていたら、かつて私が犯した失敗の焼き直しです。大局を深く認識するための具体例を示してもらっていながら、まともに受け止められず、いつまでたってもいわゆる免許皆伝してもらえなかった。