アイトワの野菜を食べる資格
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まともな野菜の作り方に、この家族には、まず精通してもらいたく思っています。それに成功するには、家族の心を一致させることが不可欠であるからです。 農薬を使わずに農業は出来ない、と思い込んでいる人が大勢いますが、決してそんなことはありません。今も世界の多くの人は農薬や化学肥料を用いない農業で生きていますし、いわんや農業機械を用いずに農業に携わっている人が大部分です。ドイツが戦争で毒ガスを使うまで農薬はなかったわけですし、敗戦時までわが国でも農業の工業化には踏み出していなかったわけです。要は文化に従って生きていた時代は、農業も工業化されておらず、有機栽培が当たり前であり、畜力と人力など自然の力に頼る生き方をしていました。 農業の工業化は、環境破壊も進めるなど、簡単に言えば「自然ドロボウ」です。ですから、水も汚れ、水道に頼らなければならなくなりました。その文明の恩恵に甘えたために、身近に流れていた(上水として活かしていた)小川まで下水のようにしてしまい、ペットボトル入りの水を買わなければならなくなっています。これも文明病の一面です。 残念ながら、この家族はたった5本のキャベツなのに、虫食いにしました。 「商品が台無しになった」という意味があります。 ここまで育てるまでの努力がすべて無になった、という意味もあります。 野生動物は美味しくて安全だから狙うのだ、ということを理解すべきです。 なのに人間は、危険な野菜を平気で普及させている、との不安をかき立てられます。 それが未来世代まで痛めつけている、との危惧の念も抱かされます 少なくとも無農薬有機栽培野菜を活かした供給者の立場になるなら、こうした点を深く理解しなければならないでしょう。そうした燃えるような意識が、野生動物にも伝わるような気迫を生み出すように私は観ています。その気迫を私は母から学びました。 つまり、文化に基づく農業の何たるかを心の底から理解しなければいけないわけです。なんとなれば、文化に基づく農業は、家族が心を1つにして総出で取り組み、互いに自浄作用を加速し合い、励まし合いながら、手分けをして取り組まなければいけからです。 ことこのキャベツについては、哲範一家はこの点では合格点に達していません。もちろんこれは、この家族だけの問題ではありません。社会の風潮が文明に汚染され、「三匹目の猫」になったり、育てたりしようとしてこなかったからです。 一刻も早く、この家族には、自分たちの首を絞めかねない社会のありように疑問を抱き、持続可能な生き方をもって自活力を身に着け、その恩恵の普及に喜びを見出せるようになってほしい、と思います。無農薬有機栽培野菜を堂々と食べられる資格を身に着けてほしいと思います。 |