「ジン」とくる
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この日は、朝の迎え方と、朝刊で読んだ「天声人語」がプロローグでした。前夜は考えごとをしているうちに夜更かしをしてしまい、ホトトギスが鳴くのを聴いて(あわてて冷酒をコップであおり)ベッドにもぐりこんでいます。4時15分でした。そして7時過ぎに起こされ、「遊」の字の本質を知り得たような気分にされています。それがよかった。 その後、11時ごろに出くわした出来事と、夕食時の妻との会話を通して、「ホッ」とした気分で1日を締めくくりました。なぜなら、すっかり白くなった妻の頭を見るようになってから、このところ時々落ち込んできたことがあったからです。 11時ごろのことでした。水島さんと「庭のトイレ」の位置を決めようとしていました。その折に若い女性の声が前の道から聞こえてきたのです。人力車にのった2人連れの女性の1人が、車夫に話しかけていました。「こんなとこ住んで、なんか楽しいことあるやろか」と。車夫は応えに窮していました。思わず水島さんの顔を見ましたが、気付いていなかった(聴かないふりをしていたのかもしれない)ようです。 夕食時に、この楽しさの有無論を話題の1つに選びました。かねがね、私たちの生き方は、考え方によれば「天国に棲んでいる」とも思われますし、見ようによっては「狭い空間に閉じ込められたような一生」と考えられなくもない、と思ってきたからです。それは、文化の本質を理解し、尊ぶ人から見れば天国でしょうが、文明に馴れた人から見れば抑圧と見えかねない、と思うからです。 実は、私は文明派からサラリーマン時代に文化に魅せられた立場に宗旨替えをしています。工業文明は緩慢なる自殺行為であると気づかされ、文化派に転換しています。 当時は、文明に憧れていたガリガリの給与生活者で、いわば勝ち組の1人でしたが、自由になる時間が限られており、妻と国内外の旅行さえできませんでした。ですあら「いつの日にか、妻と」と考えて、数十回にも及ぶパリ出張をしていながら、エッフェル塔などの物見遊山はしていません。そうした仕事ぶりが勝ち組にしたのでしょうが、そうした生き方を49歳で辞め、妻を内外の物見遊山旅行に誘うようになりました。しかし、良い返事が返ってこなくなっていました。 65歳で短大勤めを打ち切り、私の自由になる時間は一層増えましたが、映画に誘ってもよほど関心があるときしかついて行ってくれなくなっていました。 「そういえば」と、このところ立て続けにもらった関連深い便り(過日訪れた池田町の2軒と、豊田市郊外に終の棲を設けた日根野さん)を思い出しています。 御三方6人は10年近くは、ずいぶん苦労されたこともあったようですが、昨今ではすっかり文化派になられたようです。 沖さんの知らせには「名刺」が伴っており、誰しもが「プルトイ」を求め得ることを知りました。松永修さんの便りには、ズシンとくる文面が読み取れましたし、日根野章子さんは私たち夫婦を終の棲家に誘ってくださっています。 ズシンとくる文面とは、次のような下りです。「学ぶべきは確かな判断力と決断力でありますが、それには「生物」「地理」「数学」「国語」「体育」等オール学問を総動員するだけでなく、(中略)物理学も及ばないf(X)の世界が必要であるし、加えて意思力、経済力、健康力、妻の協力などの要素も重要である」とあり、末尾は「20、30年年先のクライシスを想定して、周りの人たちの規範となることがご恩返しと心得ております」と結ばれていました。 クライシスを私は、20、30年年先ではなく、10年ほどで食糧パニックから始まると読んでいます。つまり、それよりも早く、経済的(に聡い人たちにかき回されて)破綻問題が襲いかねない、と見ているわけですが、その時に慌てたくないものだ、と思っています。 その時にあわてふためなくともよい確かな手段は、文明病から自分を解放することではないでしょうか。文明病から解放される一番の妙薬は、文化にのっとった生き方を目指し、しかるべき文化を構築しあう仲間の輪を(つまり相互扶助関係の輪を)大きくしておくことだ、と睨んでいます。その基本は家族の助け合いでしょう。 文明病とは、多くの人をお金依存症に感染させながら、お金に不自由する人に仕立て上げます。お金さえあれば1人でも生きて行けると油断させながら、各人を身勝手にさせ、お金に不自由させてしまう病気です。逆に、お金さえあれば何でも可能だと信じて溜めさせながら、その有効な使い方を見つけられないまま死なせてしまいかねない病気です。 この度の「天声人語」を夕食時に妻に読ませますと、「遊び人で、ス・ミ・マ・セ・ン」」と頭をぺこりと下げていました。彼女はこの日、根気がいる旧玄関周辺の掃除を始めています。 |
「天国に棲んでいる」 |
沖さんの「名刺」 |
根気がいる旧玄関周辺の掃除を始めています |