心にもズシン
 

 2つの石もズシンときましたが、10年ほど見なかった間に義妹の家族が築き上げた田舎家を見て心にもズシンときました。義妹は妻の人形作りに刺激されたに違いない、と思います。陶芸に手を出し、個性を発揮しています。その娘は、今や陶芸家として生きています。

 その住まい方は私の刺激を受けたようで、15年ほど前からマルチハビテ―ションに入りました。亀岡で農地付きの田舎家を手に入れ、週末農業に携わり始めたのです。その後、自分が、次いでその長女が陶芸に手を染め、義妹の夫が夭逝するなどしましたが、今ではその田舎の拠点は陶芸工房を兼ねるまでになっていました。

 草をかき分けて、は大袈裟ですが、地道の道を走ってその拠点にたどり着きました。まず目に飛び込んできたのは大きく育ったハナモモの木でした。義妹とその夫の結婚記念樹で、転居の度に居場所を変え、夫が亡くなる前にここに根付かせていた、と言います。

 かつての田舎家を思い出せないほど改装されていました。改装した土間の入り口には、義妹の創ったポストと、その娘が創った傘立てがありました。元からあった土間には、見覚えのある応接セットと再会しました。妻が嫁いでくるときに持参したものですが、不要となり、譲った次第です。1時間後にここで、手早く作ってもらった昼食のソーメンを味わっています。

 この日は庭石をもらいに行ったのですが、わが家に倣って作った調理窯の確認もできました。複数の井戸があったとのことですが、そのまま飲料するに値する、との検査結果も知りました。畑は4か所に設けていました果樹も、わが家に劣らないほど育てていました

 「娘のためにも」と燃料にする木をとる林をつくる相談を受け、場所と樹種、そしてと育て方などを伝授しました。もちろん、陶芸工房も見学しました

 うらやましくなるほどの生命維持装置(リビングシステム)が出来上がっていました。義妹は今や、孫にも恵まれており、寸暇を惜しむ生活をしています。

 その気にさえなれば、今や「誰にでもできる生き方」として私はアイトワの生き方を紹介してきましたが、義妹も家族と計らい、その実践に踏み出し、実らせてくれていたのです。

 夫は夭逝したとはいえ、週末を活かして死ぬまでに畑地を広げ、果樹を植え付け、生きる基盤と生きる形を整えており、義妹たち残された者は嬉々として生きています。

 石は2つもらいました。その石を動かすときに、義妹は年老いた私にとって代わり、水島さんと2人で動かそうとしました。もちろん私も加わって、3人がかりで汗をかきながら動かしました。この日は石だけでなく、ヤマアジサイヒチダンカの枝をもらって帰り、その日の内に挿し木にしています。代わりに、真っ赤な花を咲かすタイマツソウ(紋別の友だちを訪ねた折に持ち帰った)を増やして、譲る約束をしました。


 


地道の道を走ってその拠点にたどり着きました

大きく育ったハナモモの木でした

義妹の創ったポスト

娘が創った傘立て

見覚えのある応接セットと再会

昼食のソーメン

わが家に倣って作った調理窯

 


畑は4か所に設けていました

 


畑は4か所に設けていました

畑は4か所に設けていました

陶芸工房も見学しました

陶芸工房も見学しました

石は2つもらいました

石は2つもらいました

ヤマアジサイ

ヒチダンカ

タイマツソウ