なぜ

 

 新宮秀夫先生とは、昨年9月に私は「リクチュールの意義」を訴える90分のスピーチをしたことがありますが、そこで耳を傾けていただき、『エネカン』の機関誌をいただいたことから始まっています。それが縁で交流が始まり、今日に至っています。

 工学系の先生が、なぜ「幸福」と「黄金律」について驚くべき著作を出しておられるのか。それが不思議で、この度の合宿となりました。つまり、先生にお出ましいただき、塾生と一緒に、まずは幸福について、学ばせていただくことにしたのです。

 おかげで、先生が京都大学で特異な教育をされていたことを垣間知ることもできました。エネルギー論を学ぼうと先生の下に集った学生に、「幸福」とか「黄金律」を講じてもおられたのです。私流に解釈すれば、人類のみがたどり着けた「幸福観」や「美とか品」について、想うところを論じておられたわけです。それが「人」としての根本、と考えられたのでしょう。

 そのために先生は、人類がこれまでに幸福について著してきたあらゆる文献(論語はもとより約500冊)に当たり、1つの答え、「幸福の四段階説」にたどりつき、著しておられる。この10年前に著された幸福に関するご著書は、世界で初めて著された「幸福論の集録」であったわけです。

 先生は200冊に及ぶ文献を、四つの段階のいずれであるのかを明示し、いわば幸せの次元の異なりに切り込に、その次元を明らかにしておられる。ですからきっと「幸福感は人それぞれであり」などと言ったような考え方を浅薄と見ておられるに違いない。もちろん、「私は私の幸せで十分、ほっといて」と言われてしまえばそれまでですが、それでは「マズイ」と思わせられました。幸福には人との関わりが付きまといよい問題だけに、独りよがりでは、とは思わせられました。

 実は、前夜の数時間もかけて講じていただいたところは、私には難しすぎた。きっと塾生の多くにとっても難しすぎたに違いありません。しかし、塾生は陶酔しました。それは先生の熱き論調にピタッと共鳴したからだと思います。そこで、私なりに翌朝の生かし方を方向づけています。

 それは、先生が雑談の中で触れられた子どもの頃の思い出話(自然との触れ合いをとても大事にされていた)を参考にして導き出したものです。ファミコンゲームないしはテーマパークなど人間がこしらえたものと、自然の間には決定的な差異が、次元を異にする差異があるものと私も先生と同様に、観てきたからです。またその差異が、今日露わになりつつある文明病の蔓延させている、と私は睨んでいるからです。きっとこの差異に気付いて、レイチェル・カーソンは『ザ・センス・オブ・ワンダー』(幼児期に自然に触れる提唱)を絶筆に選んだのでしょう。

 朝食時の話題に、私は「幸福の四段階説」と「三つの脳論」(アイトワ塾誕生のきっかけになった拙著『ビブギオールカラー』で触れた)をからませて考えることにしました。狙いは見事に的中し、議論は白熱、場を代えて?時間に及んだ次第です。

 なぜこの話題を持ち出したのか、それは「幸福の四段階説」の第1段階が『ビブギオールカラー』におけるトカゲ脳(人類の祖先がまだ爬虫類の段階であったころに備えた脳)のなせる業、つまり本能を源泉とした幸せ(恋の成就や美食の喜悦に始まり、征服欲の充足など)と先生が位置付けておられるからです。そして第二段階は、第二段階は、と見てゆくと、次第に哺乳類になった段階で新たに備えた脳の部分や、霊長類になった折に肥大化させ機能させた大脳皮質が関わっていそうだと思われたからです。ですから、第4段階の幸せ感は、きっと人類のみが異常に発達させた大脳皮質の部分、前頭葉が関わっているに違いない、と睨んだのです。

 こうしたディスカスを通して分かったことは、先生が京都大学で特異な教育をされていたことでした。「エネルギー社会工学」という講座を設け、「ヒト」を「人」に育てる教育に取り組まれていたことです。私は地方のしがない短期大学ですが、大学という機構の一面(セクショナリズムや、前例にこだわる体質など)を知りうる立場にあっただけに、驚きました。

 ご苦労はなかったか、との疑問に対する回答にも驚かされました。その論理的理由を聴かされ、これを20年前に知っておきたかったものだ、と思ったものです。「講義の『義』には、言偏がついた『議』ではありませんね、『義』を講じることが求められている」とのご指摘でした。

 実は、母が危篤事態に入ったときに、学長の白羽の矢が私に立ちました。そして、受けざるを得ないと覚悟(定員割れが悪化し、学課閉鎖問題などが山積)し、受けた時にすかさず、全学生と全教職員に集まってもらい、お願いごとをしています。まず学生には「3つの約束」をお願いしました。次いで、教職員に集まってもらい、2つのことをお願いしました。

 1つは、「教(教育担当)職(事務担当)員は、学生にとっては両親のようなもので、共に尊い。その両親が仲たがいするほど子どもに悪影響を及ぼすことはない。従って、少なくとも学生の前では、仲の良い両親を演じてほしい」でした。実は、事情があって、教職員が敵対した状態が根深く続いていた学校でした。そして、事務局に提案して予算を組んでもらい、開学来行っていなかったという教職員合同の慰安旅行をじっしすることにしています。

 2つ目は、これがここで指摘したかったことですが、教員に「専門を通して人間を教えてほしい」とお願いしたことです。そして、その手段として、それまで業者に依存していた学び舎の清掃を、教員と学生にお願いし、さらに全学清掃日を設け、学生と教職員で、キャンパス内だけでなく、余力をいかして近隣の掃除に当てるようなこともしています。結果、学生だけでなく、教職員にも頭が下がることが続きました。

 このたび知り得た講義の意味を、当時に知っておれば、もう少し頑張って、日本1の短大に、少なくともゆるぎない特色を備えた学校にしたい、との情熱を保ち続けていたことであろうに、と残念に思っています。