余計なことは考えない

 

 妻にさえ、「なぜ、雑巾1つのことで」とか「そのように細かいことを」と、文句を言われながら創出してきたわが家の文化です。それは、1つの地球で済ませようとの願いに基づいている、といえばカッコウよ過ぎるでしょうか。

 妻が躓(つまづ)いて、たとえばジョウロをこわしても私は責めたことはありません。なぜ躓いたのか。その原因を排除するように注意するだけです。再び躓いてジョウロをこわしても、責めません。その不注意を「改めること」を約束させます。その約束を破った時は、雷を落とすだけでなく、思いっきりなじります。妻は、このなじり方に抵抗し、だから改められないのだ、と言わんばかりにフクレ、そこで「バカモン」が飛び出し、今日に至っています。

 ジョウロやポリバケツなど、プラスチック製品を炎天下に放置していると、注意します。ちょっと手を差し伸べたら日陰に入れられるわけですから、入れておくように注意します。そうするだけでプラスチック製品の寿命はずいぶん延びます。注意したのに日陰に入れていなかったら、叱ります。問題は、私も入れ忘れることです。時には「さっきは入れて おいたのに」、陽が傾き、むき出しになっていることがあります。ですから、自分のことは棚に上げて、と抵抗します。そこで「バカモン」が飛び出すなどして今日に至っています。

 でも、確かにいえることは、ケンカをするたびに、互いの理解度は深まり、仲良くとはいわないまでも、深い仲になっているように思います。それが、わが家の文化のなせるわざ、とおもっています。この文化が固まるにしたがって、あるいは固める過程で、1つの地球で済ませようとの意識がより強固になり、仲を加速度的に深めたように思います。

 この文化の環に、未花ちゃん一家にも加わって欲しかった。でも、明範クンの願いを持ち出されたらどうしよう、と考えていました。妻と繰り返した議論を繰り返す気はありません。

 もちろん私は、今日では、見習ってもらえるレベルにまでたどり着けているように思っていますし、そのつもりで行動しています。少しずつでも見習ってもらいたく思っていました。

 もし、この願いに合致しておれば、少々のことなら無理をします。たとえば、ソーラー発電機の導入はその一例です。民間家屋が有償導入した第1号であったことを後年知って、誇らしげに思っています。1つの地球で済ませようとの願いに沿っている、と考えましたから、贅沢とも見える決断でしたが、少しも苦にならない贅沢でした。

 余談ですが、新宮先生は「エネカン」として、電気料金の大幅値上げを提唱されていますが、私は賛成です。ソーラー発電機の導入は、幸せに結びつけています。

 この考え方を、かつてアメリカで表明し、幾度か大拍手を受けています。それは、「1つの地球で済ませようと願う人々が集ったようなカンファレンス」でのこと(リズさんの同時通訳で参加したといのこと)でした。森林破壊問題も取り上げられ、自分たちの願いが届かず、砂をかむような報告が続き、会場が重苦しくなりました。そこで、挙手して、次のような発言をしました。進むべき方向を示し、勇気を取り戻しあいたかったからです。

 「もし私が本当の大金持ちなら」と切り出しました。「地球上の森林をすべて買い取ります。そして、今の3分の1しか伐採を許しません。そうすればどうなるでしょうか。木材は高騰して、総売上高はむしろ増えるかもしれません。間違いなく、無駄にされる木材は減り、木材製品は大切にされるようになり、森林の手入れも進むことでしょう」

 限られた地域で持続性のある生き方をしている少数民族を訪ねますと、彼らはこうした生き方をしています。ところが、そうした地域にも、地球規模の気候変動の影響が及びつつあります。何としても、こうした弱い者いじめは さけなければいけない、と私は思います。それが最も陰湿なイジメだし、やがては自分の首を絞める愚かな行為だと私は観ています。