古き良き時代
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両親はこの長火鉢をどのように用いていたのだろうか。マッチが3つと、洗髪剤が1つ、そして手紙などが出て来ました。マッチ箱はいずれも枌(へぎ)で作られており、薄紙が貼ってありました。シャンプーは粉石鹸です。 手紙(切手3銭)の多くは祖父や祖母からのもので、毛筆でしたためられており、筆跡から人物像が推し量れそうに思われ、親しみを感じました。ハガキ(1銭5厘)は、祖父祖母ともに、その多くをペンで記しています。姉も交信に加わっていましたが、うらやましく思われました。 父母は電気を阪神電気鉄道から買っており、電灯にしか使っていなかったようです。このまま、電気の生産と配電体制が続いていたら、日本の国民の生活は大きく変わっていたことでしょう。電気はその後、国はフラインと呼ぶようになり、9電力に集約し、国民の首根っこを押さえるようになっています。従って、国民の中には、その日の電力にこと欠きそうになると、生命の危機に関わりかねない原発を容認するまでになっています。 両親の電気に関する昭和10年5月分の料金は、配線料が月1円20銭、使用電力料が66銭、内線使用料が54銭、合計2円40銭でした。この裏面は、新発売の家庭型芝浦電気冷蔵庫(高さ3尺2寸、幅2尺)の広告であり、定価320円、20カ月の月賦払いだと、第1回は55円、2回目以降は15円でした。当時の給与所得者の年収ほどの値段であったわけです。 |
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