楽しかった

 

 この日は、宙八夫妻にピックアップしてもらい、出かけることになっていました。妻(工房に降りていた)から内線で「ご到着」との知らせを受け、急いでおりて行くと、「ハッピーの墓参をしてくださっています」とのこと。そういえば、ご夫妻には1週間(NZ旅行中)の留守番をお願いし、ハッピーの面倒も見て頂いていたのです。

 この日帰り旅行には2つの狙いがありました。ご夫妻がいわきに還ることを断念し、終の棲家として見定め直そうとされている候補(古民家)に立ち寄ることと。他の1つは、養蜂の師匠・志賀さんとお引き合わせすることでした。きっと、養蜂でも両者はつながる、と睨んだのです。

 この日の昼食は、志賀郷近くで志賀さん(この日のために帰郷したご子息同伴)と合流し、元農協職員が営むそば屋でとっています。このところ、「そば打ちを趣味としていた人の第2の人生」に出くわす機会が増えていますが、また1つ体験です。この話題に花を咲かせたあとで、師匠と養蜂の出会い、ニホンミツバチの不思議、あるいは農薬ネオニコチロイドの養蜂への影響などへと広がってゆきました。

 師匠は、ニホンミツバチのことを(就職先の先輩から学んで)知ってから30数年とか。その後、指物師から木材をもらい、それを材料にして箱作りに手を付け、5〜6年目に1群れのハチをやっと確保したのが養蜂の始まり。つまり、ニホンミツバチを飼うことがとても難しいコトを知り、「はまり込んだ」とおっしゃった。

 本格化したのは1998年頃で、箱を置けばハチが捕れた時代。2009年(がピークで、200箱を展開し、120箱にハチが入っており、500kgの蜜が採れた)には、近き将来1とンの蜜が採れそうだ、と思われたとか。ところが、その秋から(向かいの田で豆作りが始まっており)農薬の空中散布が始まった。その散布の都度ハチが激減し始めた。

 3年前の朝5時頃に一帯で空中散布が始まり、その直後に巣箱を覗くと、半数のハチが死んでいた。同時に師匠は鼻字を出されている。

 現在はアイトワの1箱を含めてハチが入っているのは20箱にまで減っている。この惨憺たる状況にもかかわらず、「言って行くところがありません」と師匠は暗い顔、あきれ顔でもあった。

 ネオニコチロイドを散布された地域から2km以内のハチは全滅を免れにくい、と実に深刻な話。農薬が様々な異常現象を起こさせることは常識になっているわけですから、新たな農薬を採用するに先だって、打っておくべき手が国にはあるのではないかと考えました。原発問題にも通じる一面があり、砂をかむような気分にされる、とはこういうことでしょう。

 ネオニコチロイドは、ゴキブリをはじめ蚊やハチを対象とした家庭用殺虫剤にも含まれている、とのこと。わが家では、昨年は2群も獲れた(しかし、逃げられた)のに、今年は偵察隊がやってきた気配さえ感じていません。

 農水省は、やっとこの度、その危険性について調査することになったようですが、結果はいつ出るのか。優先順位付けが、ニホンミツバチ(私たちが生きてゆく生活基盤の健全性を知るバロメーター)にあれば、即刻欧州並みの結論が出るでしょう。しかし、養蜂家でもなく、農薬を取り扱う業者や許可した自分たち立場にあれば、数年は要することでしょう。

 このところ、ニホンミツバチの捕獲報告が減っています。それは、女王鉢は飛ぶのが遅く、ツバメなどの餌食になりやすいことが加速させているのでしょう。新しい女王ハチが誕生すると、4〜5月にかけて生涯1度の受精の旅に出ます。無事に帰還できれば、その後4〜5年にわたって卵を産み続けます。