予期していたこと
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午後一番に、引越し屋のトラックを追うようにして、哲範さん一家3人は軽4輪で、あわただしく去ってゆきました。未花ちゃんの実家で、先回りして家財を受け取るためです。ですから、「本当に困った時は、また声を懸けなさい」といって見送るのが精いっぱいでした。 その後、思ったより早く、哲範さんはレンタカーで、積み残した荷物を取りに戻って来ました。そこで、これ幸いに、とばかりにオヤツの時間にしました。この時まで、オヤツの時間を忘れて庭仕事に励んでいたのです、妻を交えて3人でテラスに陣取ってお茶をすすりました。 名誉ある撤退が出来た、と哲範一家は考えていたようです。幾年か後に不合格の烙印を押されかねない、との不安を感じていたのでしょうか。見送りながら、幸せになってほしい、と願っています。妻も、それを強く願っていました。妻は、単純にそう願ったようですが、私は一抹の不安を抱いていており、もう少し頑張ってみるべき、との声をかけそびれました。 そして、「せめて5年早ければ」と、迎え入れる時に考えていたことを思い出しました。もっと以前に声をかけていたからです。でも、哲範さん夫妻がその気になれば、何とかなるかもしれない、との期待を込めて、受け入れています。その折に思い出していたことは、16年ほど前に見知った「農業体験が子どもの心を変えさせたエディブルスクールヤード」のことでした。 その後、短大教員であった私は、人には3通りの生き方はあることを強調するようになっています。なんとかして学生に、より確かな人生を歩んでほしい。現在(工業時代)の延長線上に未来はない、次代が始まると私は観ており、それに気づいて欲しい、と願っていたからです。 その後、エディブルスクールヤードを報告したスピーチがキッカケになって、農業体験学習が始まります。そして、その成果の一つとして、参加した小中学生から作文と図画が届けられ、その審査委員長として講評する機会まで与えられました。おかげで、小学低学年と高学年以降の間には歴然たる溝があることに気付かされています。 こうした思い出を振り返りながら、哲範さんを見送りました。確かなことは、この一家も自然に対する畏敬の念にかけていたことでした。それは無理からぬことです。報道機関は(政府の要人も)天災や自然災害への備えは訴えても、その何倍も、何十倍にも及ぶ自然の恩恵にはあまり触れていないからです。その恩恵に備えた心の準備を促す例をあまり聴きません。天気予報ですら、洗濯情報の「よく乾くでしょう」程度に過ぎません。 ですから、哲範さんは、雨を恐れて無煙炭化器にカバーをかけ、灰がそれ以上濡れないようにしたことがあります。もちろん私は褒めました。しかし灰を乾かすことが肝心なのに、その後、どのように好天が続こうとも、そのカバーを外して、灰を乾かそうとはしていません。それはストックの生き方が常態化している世の中にあっては無理からぬことでしょう。 明範クンには、野菜の種まきと、その後の水やりを受け持たせました。その折に、私が頼んだからするのではなく、野菜が水を欲しがっていることを確かめ、欲しがっていると見たらやるように、と頼んでいます。しかし、下校時に畑で芽を出たばかりの野菜が萎れかけ、水を求めていてもやっておらず、代わって母親に水やりを頼んだ様子もなかった。でも、夕刻にはキチンと出てきて、私がやった後なのに、またやっていました。 これはなにも、明範クンを責めているつもりはありません。かつて「ゆとり教育」が導入され「エディブルスクールヤード」のような(4次元教育)事例を期待しましたが、うまく運んでおらず、視聴覚にたよる知識詰め込み教育に戻っており、その弊害ではないかと言いたいのです。 ですから、私の目から見ると社会全体が、生きとし生けるものはことごとく自然の恩恵に浴して生きているとの認識が欠けているように見えています。その集積が今日の野生生物の絶滅や自然破壊などの問題に結び付いているのでしょう。つまり、フローの生き方を奨励してきた社会問題ではないでしょうか。 アイトワではフローの生き方の対極ともいうべきストックの生き方を追求しています。だからといって、その強要は控えなければいけない、と考えています。こうした意識が働き、もう少し頑張ってみるべき、との声をかけそびれました。しかし、一抹の不安は拭いきれず、「本当に困った時は、また声を懸けなさい」といって見送るのが精いっぱいでした。 ですから私は、スーパーシェフ・堀口さんに感謝しました。この3人にとっては、その提言や指導はやや厳し過ぎたのかもしれません。しかし、調理人のしかるべきあり方の一面を学び取ってもらう上ではまたとない機会であったはずです。 |
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幸せになってほしい、と願っています |
灰を乾かすことが肝心 |