文化と文明の峻別
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高谷先生も、連日のごとく庭仕事をされているようです。それだけに、アイトワの庭を巡り、アイトワ流の作業方法を知り、とても感心してもらえました。 先生は、東南アジアを始め、文化が色濃く残っていた国々を、長年にわたって探検にも近い現地踏査を重ねてきた人です。その知識と経験が「世界単位」という言葉を創出させたようですし、名著『「世界単位」から世界を見る 地域研究の視座』となって結実したようです。 話はつきませんでした。先生はよほどの人とみえて、いとも簡単に己の蹉跌を淡々と語られた。ですから、おのずと話が(さまざまな事象の因果関係。願望と必然を見極めながら見通す未来像など)弾みました。そこで、私の思う文化と文明の峻別(拙著『次の生き方』で触れた)も取り上げてしまったのです。なんと「今さら当たり前のことを」と言わんばかりの反応でした。 6時間も語り合わせていただいたのに、物足りない気分で別れました。いつの日にか夜を徹して語り合いたいものだ、と思っています。 実はその日の夕刊(朝日)で、残念な記事が目に留まりました。「飢餓ちゃかす? キャラ公開中止」との見出しでした。私たち日本人の、悪しき側面を見たような気分にされました「現実や存立条件よりも、願望や発展条件の方を大切にするクセ」のことです。そのクセが如実になりだしているようだ、と思わせられました。 きっと、日露戦争の前も、太平洋戦争の前も、このクセが渦巻いていたのでしょう。 |