初代リーダー
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この週はじめ13日は、現リーダーが前年度のリーダーも交えて訪ねてくれましたが、偶然のおかげで(このルーチン化した来訪の伝統を生み出した)初回のリーダー・徳 本さんの元気な声まで聴くことに結び付けたわけです。彼は、5日後(金曜日)に迫っていたスピーチ会場の方面で活躍していますから、電話を入れました。「その日は休み」だからと、スピーチ会場に駆けつけてもらえることになった。しかも、翌日の面談も実現する運びになった。 つくづく写真を撮っておいてよかった、と思いました。徳本さんは、授業の一環で(毎年高名な学者が学生を引率し、アイトワを訪ねてくださっていましたが、その最後の引率時の1人として)この庭を訪れていたわけです。そして、この教授が佛教大学を去られた後、徳本さんには直接「庭仕事に携わりたい」と名乗り出てもらえ、有志をつのって訪れてもらえるようになり、今日に至るプログラムに育っていったわけです。 おかげで、この度は、スピーチに呼んでくださった人。地方議員に、徳本さんの仕事場まで送り届けてもらえ、会えましたし、大勢の若者とも語らえました。そこはかつて、私もかかわったことがある地球デザインスクールです。 しかもその後、家路につく折には、皇族も迎えた舞鶴での催しを終えて、取って返して来てもらえ、また迎えて下さり、その折には、郷土資料館にも立ち寄らせてもらえたのです。おかげで今週は3日前に福島方面の古民家を見たばかりなのに、週末に丹後方面の古民家を目の当たりにでき、異なる文化(山間と海辺)なのに、共通の豊かさを、つまり共に「生産の場」であったころの民家を体感できたのです。 ちなみに、スピーチでは「アイトワの生き方」の紹介と、「この生き方を目指すべき必然性」の2部構成にしました。その必要性を予感している人には胸のすく内容であったはずです。でも、いつも悩むことですが、後半を入れ替えておいた方がよかったかも、との反省もしています。後半を、それぞれの住空間を「創造の場」にしようとの提案です。 かつて家屋は「生産の場」でした。いまや工場で作られた消費財を買い込んできて「消費する(だけのような)場」になっています。しかし、それが貧富格差を広げています。ですから、「生産の場」に戻すだけでなく、「創造の場」に格上げしよう、との提案です。 「創造の場」の構成にして「ほんわかとした気分」になって頂くべきか、世の中はオカシイと気付いている人に「覚悟を促す」べきか、いつも悩まされています。 それはともかく、3階にあったスピーチ会場と同じレベルにあった図書館を、いわば控室として使わせていただき(心臓への負担を軽減出来ただけでなく)郷愁を味わえました。
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最後の引率時の1人として)この庭を訪れていた |
今日に至るプログラムに育っていった |
地方議員 |
徳本さんの仕事場まで送り届けてもらえ、会えた |
民家を体感できた |
民家を体感できた |
民家を体感できた |
民家を体感できた |
図書館 |
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