『庭宇宙』
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歳のせいでしょうか。有能で気立てのよい人を見ると、なぜかおせっかいを焼きたくなります。昔の人は、こうした場合は「縁組み」を画策したのでしょうが、私の場合は、違います。私は、誰しもが持ち合わせて生まれているはずの、その人固有の才能なり能力の発揮を促したくなってしかたがないのです。その大切さは、私自身が幾人もの恩人に気付かされたことであり、今日に至っているわけですが、その恩に報いたくなった、といえば大袈裟でしょうか。 そこで、私はその想いをふんだんに盛り込んだ『庭宇宙』を持参した次第です。まず、「先楽園」を紹介しました。時代が変わることを伝えたくて、『庭宇宙T』でイの一番に取り上げたエッセーです。これまでの世の中では「後楽園」や「偕楽園」はありましたが、「先楽園」はなかった。それにはそれなりの意味があったからです。 しかし、私はかねてから、時代が変わり、「愛」や「幸せ」の概念も変わる次代を迎えるに違いない、と観るに至っています。それは、恩人たちに予感させられていたおかげで、遅ればせながら1973年に、それに決定的に気付かされています。そして、概念を変える「愛」や「幸せ」を大切にしたいし、追求したくなったし、やがて率先して享受する生き方に憧れるようになっています。やがて、その何たるかが分かったような気分にされるに至っています。 ちなみに、新宮秀夫先生は「幸せの4段階説」を発表されていますが、第3段階までの幸せ、第4段階の幸せでは決定的な差異がある、と指摘されている。第4段階の幸せは、むしろ苦しみの一種ではないかと受けとめかねない人が現れないとも限らない説明です。 振り返れば、この苦しみのごとき幸せに気付き易くしてもらえたのは源ちゃんのおかげ、と思っています。なぜなら、世の中には、同じ言葉を聴かされながら、それが「世間が偉い」と見ている人から聞かされると神妙に受け止め、世間が軽んじている人から聞かされると軽く受け流す傾向があります。しかし、源ちゃんはその反対も大切だ、と気付かせてくれたからです。それもそのはずです。 つまり、第3段階までの幸せしか思い当たらない世界では、「後楽園」や「偕楽園」は許されても、「先楽園」は許されなくて当然でしょう。なぜなら、己をいましめる考え方が尊ばれて当然であった、といえるからです。しかし、これからの時代は、それが変わる。変えなければいけないし、逆転する、と考えるようになっています。 要は、それまでの「欲望の解放」(万人共有の喜びを思うままにする)から脱皮し、その人固有の才能なり能力(誰しもが持ち合わせて生まれているはずなのに、当の本人にも気づきにくい)を発揮させる「人間の解放」への転換、が大切だということです。 そこで、1973年ごろから、私は変わり者とか時代に逆行と笑われながら、文明に浮かれるのではなく、いわば文化に帰依するような生き方に転換しています。それがよかった、と思っています。ケンカをするたびに仲良くなれる妻に恵まれましたし、第一、言ったことを言っておいてヨカッタと(記した文章で、後から隠したくなる文章が少ないように)思える自分になっています。す。それもこれも恩人たちのおかげです。ですから、この度の出張では、この恩人たちへの恩返しのようなことがしたかった。 おそらく、今後は急速に「人間の解放」を目指す人が増えることでしょう。逆に「欲望の解放」を目指す人は、やがては追い立てられるようにして(罰則規定が変わったり、税制のあり方が根本から変わったりして)意識の転換を迫られることでしょう。 そのようなわけで、有能で気立てのよい人に、なぜかおせっかいを焼きたくなり、この度の出張では秘かな狙いにした次第です。 余談ですが、「豊かな水が生み出させた楽園」のような米・カリフォルニア州で、これまでとは逆行する罰則が、今週施行されました。水道水の不用意な使い方に、500ドルの罰金です。 |