このたびの出張では、東京駅に近かずいた時にスモッグに驚かされています。スモッグではない、黄砂だろう、とすぐに気付きました。11時半過ぎ、快晴でしたが、少し遠方のビル群が濁って見えました。でも京都に比べて過ごしやすい気温でした。
3日後に帰京して、一層蒸し暑くなっていた京都に驚かされました。その翌日、庭に出ると、さらに一層蒸し暑くなっており、閉口しています。こうしたうだるように蒸し暑くてたまらない時に、サッと吹き付けた一陣の風を、亡き母は「地獄の余り風」と呼びました。
この言葉を、妻は私以上にしばしば耳にする機会があったのでしょう。今も夏場にこうした風が吹くと、「地獄の余り風」と叫んで、喜びます。同時に「どうして天国の余り風」、と言わないのでしょう? と不思議そうな顔をします。
このたびやっと、「地獄の余り風」のままでよいのだ、と実感しました。おそらく、母の故郷で多用していた言葉でしょう。これは大胆な省略形であって、その意味するところは「地獄のような暑さの中で、天国の余り風が吹いたように気持ちようくなり、ありがたいことだ」との気分を表しあっていたのではないでしょうか。
実は火曜日までは、この夏はそれほど熱く感じていませんでした。暑く感じることがあっても、「そりゃーそうだ、祇園祭の時期なンだから」と、すでに真夏になっていたことを自覚し、その割に「今年は楽だ。冷夏かな」と感じていた次第です。
ところが、留守にした3日の間に、とんでもない暑さになっていました。まず、太陽温水器の湯が、かつてないほど沸いていました。妻は「ソーメンを湯がけるのでは」と言います。
翌・週末は昼食時まで居間で過ごしました、その間に2度、庭に出ています。一度は、キンギョの餌やりと水が切れた鉢植えに水やりで、それらを済ませるとそそくさと引き揚げており、肝心のことを忘れていました。そもそも庭に出たのは、一輪車を(積んであった湿った灰を、乾かすために一輪車ごと)日照りの下に引き出しておくためでした。その用事を忘れていたのです。
そこで、屋内で一休みしてから再度出ましたが、脳みそが汗をかきそうなほど、暑く感じています。ですから、陽が落ちてから、畑にタップリ液肥をやろう、と考えています。
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