未来への備え
 

 いかなる時代を迎えようとも逞しく生きてゆけるように子どもを育てたいものです。今週は、この想いを「ホッ」とさせる2つの記事に触れており、2大学にエールを送りたくなっています。1つは(整理していた新聞で見つけた書評で)法政大学でした。他の1つは一橋大学(の最新のニュース)です。

 法政大学が総長に選んでいる人は、江戸時代の研究でも知られる女性です。その人が著した『鄙への想い』という一書が紹介されていたことを知ったのです。法政大学が、この総長の慧眼の下で、次代に備えた若者を輩出する総合大学として一層磨きをかけることを願わずにはおれません。

 一橋大学が海外留学を必修化したのは快挙だと思います。私が壮年期の頃では考えられなかった決断です。当時は、息子がいる仲間は海外駐在を単身赴任で過ごしていました。息子が帰国子女(欧米かぶれした鼻持ちならない人)と見なされないようにするためでした。

 それはさておき、この度訪ねてもらえたうら若き母親は乳飲み子を、おんぶではなく、常に赤ちゃんと目が合うように胸に抱える方式を採用していました。そこで、おせっかいな話だと思いながら余計なことまで話したのです。なぜなら、この赤ちゃんが、いかなる時代を迎えようとも逞しく生きてゆく力を身に着けてほしい、と願ったからです。

 もちろんこの抱き方にも利点が多々あることでしょう。しかし、それには重大な前提条件が伴なっているのではないでしょうか。つまり未来は、今日の都市化を進めてきた工業化社会の延長線上にある、ことを前提にしているのではないか。母親も、私が守らなければとか、守ってあげられる、とでも考えているのかもしれません。でも、それはありえない願望である、と私は睨んでいます。

 ですから、おんぶして、一刻も早く夫の職人仕事を手助けすることを勧めました。つまり母と子が目線を同じにして、母親が見詰める対象を子どもが一緒に見つめながら、母親の仕事ぶりを体感してゆき、一刻も早く小さな大人になれるようにしては、との提案でした。