連携プレイの凄さ
 

 


 第1次のインゲンマメ。第1次と第2次のナスビの畝。そしてわが家の畑では最大の(畝幅が広くて長い)畝にまで、この日は手を付けました。私が1人で取り組んでいたら、この3つの仕事は、3倍の時間をかけてもできていなかったと思います。もちろん妻1人なら、4倍の時間をかけても無理でしょう。

 こう感じながら、「もう8時ごろだろう」と語り合いながら切り上げました。そして、居間の時計で確かめると、まだ7時半でした。そうと知ったときの2人の心境は、えもいわれぬ喜びでいっぱいでした。それは「日が短くなっていたンだ」との実感以上の何かを、2人は感じていたからです。

 「もう8時ごろ」と思っていた時は、4時間ばかりで「これだけの仕事ができたンだ」と往年並みの成果をあげられたことを喜んでいました。ところが、3時間余で済んでいたわけです。それは、ひとえに連携プレイの成果です。しかも、往年時代よりも、むしろ効率が良くなっていたわけです。今から振り返ってみると、それを可能にした要因は1つではない、と思われます。

 第1次のインゲンマメの場合。この畝を、この日は第4次のインゲンマメの畝に再生する手はずで取り組みました。まず、ツルから種と食材にする実を分けて収穫する。次いでツルを支柱から解いて取り去る。その解きとったツルを堆肥な山に積む。そのうえで、支柱を崩さずに(解体しないで)畝を(大小2つのスコップを駆使して)耕し、その上で溝を掘る。その溝に、一輪車で運んで来た腐葉土を入れる。これに加えて、この溝に4種の有機肥料を調合して入れる。その上で、腐葉土と4種の有機肥料を鋤き込む。そして、液肥をタップリまいておく。

 他方、温室では、先にとった第1次のインゲンマメの種をポットにまき、第4次用のインゲンマメの苗づくりにとりかかっておく。こうした幾つもの作業を1人でこなすのは大変です。かといって、不慣れな人に手伝ってもらおうとしたら、ちぐはぐが生じてしまい、もっと大変です。

 第1次と第2次のナスビの畝。この畝は、ナスビを切り返して新芽を出させ、再生させて、秋ナスを期待する作業でした。本来なら、第1次のナスビだけを切り替えし、第2次のナスビは収穫し続けたいところです、しかしこのたびは第2次のナスビもすっかり長けてしまっていたのです。

 まず、再生を期待した切り返し(沢山実を結ばせそうな新芽が出るように古い木を切り取る作業)をする。切り取った木を堆肥の山に積む。4種の有機肥料を調合して畝にまく。その畝の上に、大量の草などを刈り取ってマルチングする。その上で、液肥をタップリまいておく。

 次いで、この畑での最大の畝を耕す作業は、冬野菜の畝の準備でした。まず、この畝に残っていた野菜を抜き、食材用と堆肥用(食材には向かない分)に分けることから始まりました。次いで、スコップで耕しやすいように、畝に生えている草は抜く。溝に生えている草は刈り取る。あとはひたすらスコップでの力仕事です。

 以上の作業に1人で取り組めば、途中でイヤになっていたことでしょう。恐らく、どれか1つの仕事だけで終えていたと思います。ところが、この日は、2人が互いに次の作業が楽なように、しかもタイミングよく手伝いあったわけです。それが予期せぬ成果に結びつけたのです。

 もっとも、今週も、なんて無駄なことをする、と笑われそうなこともしています。たとえば水曜日の朝。畑から戻ってきた妻から、アナグマ(と妻が決めつけている動物の被害)事件が生じていた、と教えられました。そこで点検に行くと、第3次の二十日大根がことごとく掘り返されており、食べ残しが転がっていました。そこで、比較的大きな大根を3つ持ち帰ってみると、すでに朝食の用意が整っていました。妻は先に、一番大きな食べ残しを1つだけ持ち帰っていたわけです。「この味を」アナグマも味わったわけだ、と妻と語らいました。

 かくして、第3次の二十日大根は1つを除き、すべてが堆肥の山に積まれました。

 ならば「どうして」と妻は文句を言いませんでした。このダイコンの種をまき、カイワレの状態であった時に、妻が水やりを忘れていた時に私が厳しく叱責したことです。




 

食べ残しが転がっていました

芽吹いたばかりの野草が飛び込んできました