ルーチンワークを中断し、妻には警報サイレンを鳴らさせた人形工房の井戸に走らせました。井戸で生じている異常の点検と善後策の検討を期待したわけです。
私はコンクリプールの点検に(走れないのが残念ですが)急ぎました。雨中に飛び出し、警報サイレンを鳴らさせた豪雨がどれほどのものかを確かめたかったし、善後策を思いついて講じようと考えたわけです。コンクリプールは、集中豪雨の雨水を処理する役割を担っており(一昨年の豪雨に懲りて即刻設けたもので)昨年の豪雨では見事に役割を果たしています。
昨年の(保津川が氾濫したおりの)豪雨(コンクリプールの処理能力をほぼフル稼働させた)よりも、「この雨は酷い」と体感したのに、コンクリプールは排水処理能力の3分の1も活かしていなかったのです。「なぜか」と不思議に思いました。
そこで、急ぎ次の点検すべき所(山側の隣家との境、隣家から大量の水が流れ込む現場)へと向かいました。その途中で、妻が私の留守中(先週末)に2か所で打っていた手立て(大げさな表現ですが、いわばミニダム)に気付かされたのです。それが、やがてサイクルヒットの1つであり、3塁打相当であった、と思わせられることになります。
何年か前の大雨時に、畑の底部(畝間の溝など)が冠水したことがあります。その時に、畑に流れ込む水を抜き取る手立て(として畝の土を大幅に移動させたり、石畳道の下に2本のパイプを埋め込んだり)を独自にこうじました。妻はこのたび、その機能を復活させていたのです。
おかげで、山手から畑に流れ込んでくる雨水の大半を処理していました。これは、昨年の豪雨時に抱かされた「ある不安」をほぼ払拭させました。「ある不安」とは、これ以上の集中豪雨に見舞われたら「どうなるか」との不安でした。なにせコンクリプールの処理能力をほぼフル稼働させていたわけですから。でも、その時(昨年)の豪雨は「60年ぶり」とのことでしたから「次は?」との確率を暗算し、「生きちる間には」との淡き期待を胸に、自分をごまかしました。
この淡き期待が「やはり」との危惧の念に一転です。「60年ぶりの」は過去の話であり、現実は(温暖化を進めた関係で)日常茶飯事になっていたとの(覚悟と)反省です。
この度の雨水がすべてコンクリプールに集中していたら、きっと一昨年のごとくに庭の底部が湖のようになり、その水位が喫茶店のテラスの高さを超えてしまい、テラスは水浸しになっていたことでしょう。同時に、その水が人形工房にも流れ込み、床上浸水にしていたかもしれない、と思いました。その災難から、妻の機転で免れていたのです。
1985年に人形工房の建設工事にかかった時に「これで十分」と思う排水能力のパイプを敷設しています。その後、2010年まで25年間にわたって、たいした問題は生じていません。
その間に一度、畑の畝間の溝などが水浸しになる事態が生じており、その水を抜く工事(石畳道の下に2本のパイプを敷設)を独力でこうじています。
2012年の大雨で、1985年時点では「これで十分」と思っていた排水能力では間に合わないことを知り、3倍にする工事を(水島さんと学生の手を借りて)しました。その時に、それ以前に私が独力で敷設した2本のパイプは無用の長物になった、と思っています。なにせそのパイプより20cmほど下部に、より太い2本のパイプを埋め込む工事をしたわけですから。
2013年の大雨で、3倍では不十分の大雨にいずれ襲われるのではないか、との危惧の念を、つまり「ある不安」を抱かされています。その不安がこのたびの大雨で的中していたかもしれなかったわけです。ゆえに、妻の機転が作らせたミニダムが「2重の意味で」ありがたかった。
妻の機転は、無用の長物になったと思っていた2本の排水パイプの能力を生かす手立てでした。要は、雨水をコンクリプールに集中させる前に、つまり上流でカットして、処理する策として2本のパイプを復活させていたわけです。ということは、この細い方のパイプを埋め込む工事であれば、これから独力で追加敷設ができるわけですから、「これまでに体験したことがない大雨」をまた刷新する雨が予測されても、対応の余地があるわけですから。
そうと気づかされ、胸をなでおろしながら、私は警報サイレンを作動させた人形工房の井戸へと急ぎました。たどり着いてみると、すでに妻は排水の手はずを整えていました。つまり電動排水ポンプを持ち込んでおり、ホースを伸ばし、いつでも排水を始められるようにしていました。
聞くところによると、妻は前日の間に、井戸蓋(人形工房の床の一部であり、とても重い)を開けておいた、というのです。この2点を、つまり井戸蓋を開けておいたことと、排水ポンプを現場に持ち込んでいたことを、私は妻の2本のクリーンヒット、と思いました。
でも、井戸の周辺では昨年とは異なる問題も発生していました。幾か所かから水が(水道の蛇口を緩めた程度でしたが)噴き出していたのです。その問題個所を(後日手当てを施す時のために)写真に収めました。その時に、妻がその5か所に油性インクで印をつけておくべきだ、と提案したのです。このマーキングは、私には思いついていないアイデアでした。これで妻の適時打(ヒット)は4本になったわけです。
この4本の適時打を、私は後刻、サイクルヒットと表現したくなっていますが、その順位付けを私なりにしたとしますと、次のようになります。ホームランは(私は思いついていなかったし、後日の補修時に個所を特定する上で不可欠である)マーキング、と思いました。3塁打はすでに、2か所でのミニダム(排水路つくり)と記しました。床蓋を開けておいたことは2塁打です。共に、事前にことを想定していた。そして給水ポンプを携帯して現場に駆け付けた行為もヒットですが、内野安といったところでしょう。
ちなみに、水曜日と木曜日に分けて、妻のサイクルヒットの3塁打「2か所でのミニダム」を、一か所ずつ恒常化しています
その2日後の週末です。また一帯を大雨が襲ったのです。今度は台風に伴う大雨ではありません。その京都での雨量は、1時間に100mm前後の豪雨であった、と当日夕刻のニュースで知り、さもありなんと思いました。しのつくような激しい雨でした。
またぞろ電動排水ポンプの世話になりました。この大雨は、コンクリプールの排水能力を半分以上生かさせました。先に恒常化しておいた2か所もミニダムは見事に機能していました。
60年に1度とか言われてきた大雨に、これで3年続けて襲われたわけです。そして、その3年目の今年は、なんと1週間に2度も襲われたことになります。不幸中の幸いは、週末の分は真昼間の出来事であったことです。しかも、電気工事で世話になっている中尾さんと、体調を崩していたにもかかわらず水島さん(停電を恐れる私たちのために、エンジン式排水ポンプを持参)に駆けつけてもらえたことです。おかげで、3人で善後策をまとめ上げることができました。
ちなみに、このときに、もちろん3人で井戸の施設を覗き込みましたが、妻が思いついたマーキングをしていなかったら、水を噴出させた個所の特定に苦労していたことでしょう。
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