事情があって
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わが家では、有機栽培農業まで組み込んだ手作り率が高い生き方を目指しています。これは「見る」と「する」では雲泥の差があるように思います。 いわば、ハクチョウのようなもので、見ただけでは見えないことが多々あるように思われます。「見る」と、悠然と、優雅に泳いでいるように見えますが、その足は水を気ぜわしくかいていますし、時には泥もかきながら、飢えに耐えたり、病に悩んだりしていることでしょう。 ですから私は「見たらわかる」と考える人には、あまり期待をかけません。「独り相撲をさせ、自滅させるだけ」に終わらせかねず、気の毒に思うからです。現実に、「見たらわかる」との考え方をする人で、見事な結末にたどり着けた人を観たことがありません。 自分勝手な想像をし、その想像通りに行かないことに失望し、また勝手にアゴを出し、アツモノに懲りてナマスを吹くような人にしかねない、と心配するからです。 余談ですが、『エコトピアだより』では編集者に随分(1年がかりの撮影など)時間をかけてもらえましたから、「見る」と「する」は、「視ると聴く」の差よいもはるかに大きな差異があることに気付いてもらえ、すばらしいコピーを戴けた。「なんといそがしいスローライフ」です。 このたび、「この人は、違いそうだ」と思いました。とあるセミナーで一度、1週間にわたって付き合ったことがある人でした。ずいぶんお待たせしたので「せめてご挨拶だけでも」と思い、喫茶室に出向いてみると、2人の小学生をお連れでした。 まず、自分の直感を信じて行動に移してしまっておられた。それも安定した職を捨て、これまでの家屋敷を捨て、望ましき未来を目指しておられた。きっと紆余曲折しながら見定められたに違いない、と思われました。 ですから、私に望まれたことは、「本日は、本を買い求めに来ました。どの本から手を付けたらよいでしょうか」でした 自分勝手な想像を膨らませようとするのではなく、いわんや「見たらわかる」の考え方でもなく、唐突な訪問をこちらが困るほど恐縮してくださりながら、大事な方の(目には見えない)現実をまず確かめようとしておられた。 ですから、「この2冊をまず読ませてもらいます。その上で、改めてお訪ねするかもしれません」で終わったのです。10分もかからない用件でした。なのに1時間も、私が引き延ばさせてしまったのです。今の延長線上でしか未来が見えない子どもをいかに誘えばよいのか、と悩んだ末の行動だとお見受けしたからです。 ならば、とご夫人のものの考え方や仕事も伺いたくなった。何せ人生の大転換に挑まなければならないのですから、なによりも不動の決意が必要です。 要は、311の真の被災者でした。親から引き継いだ土地に新居を作って間もない時の被災で、公務員の立場を捨てて避難した。しかもそこは避難指定地区ではないだけに、この人の苦悩が読み取れました。 |