音楽にまったく疎い私ですが、耳を傾けたくなる曲に触れると嬉々となりますし、わざわざ聴く曲や歌がいくつかあります。
とはいえ、咳払いもしにくいような観賞のしかたは苦手で、お義理などよほどのことでもない限り出かけませ。ところが、このようなところなら出掛けたい、と思うような演奏会が週初めに、NHK-TVで紹介されていたのです。
誰にでも、このような人生なら生まれ変わってもよい、と思うような人生があることでしょう。私の場合は、それは今の生き方です。ただし、この妻と出会えることが前提です。
ところがこの度は、面白いことに気付かされたのです。「この人生なら」と思う生き方が他にもあったのです。めったにフィクション番組を見ないのに、このところNHK-TVの『吉原裏同心』を妻と観ています。そして「主人公のような人生もよいなア」と秘かに思いながら観ている自分に気付かされたのです。
どこまで時代考証しているのか知りませんが、廓の世界を覗きたくて見始めました。十把ひとからげのようにして買いで求めてきた少女を、身代を崩すほどのお金を積まないと身請けさせないような一人の女に仕立て上げたり、用が済めばムシロにくるんで捨てたりしたという廓文化の片鱗を、同時に悲喜こもごものありさまを嗅いでみたかったのです。
買われることに応じた少女たちは、命を懸けての決断であったことでしょう。自分の命もそうでしょうが、両親や兄弟、オジイちゃんやオバアちゃんが「この冬を越すために」と、家族の命がかかった問題に直面して、時間をかけずに判断と決断を下したわけでしょう。
こうした世界には当然用心棒がいたことでしょう。「そうか。教養を授けるために、こうした役目を担う人もいたわけだ」などと感心させられています。
物語は、この用心棒と教育係のカップルが関わるいろいろな事件の紹介です。
なぜか、「腕に覚えがあれば、こうした仕事もよいだろうな」とつぶやいてしまいました。命を懸けて尽くしたい、と思っていた自分の心がポロリと出てしまったのです。きっと妻に、「単純ネ」とか「馬鹿ネ」とでも言われそう、と覚悟したのですが、意外な答えが返ってきたのです。おかげで、その日はとても気分よく寝付けました。
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