時間の経過で変わりかねません


 

 1995年のことでしたから、もう時効でしょう。ベトナム戦争に関してアメリカの心ある人の1人と意見を戦わせたことがあるのです。

 『「想い」を得る会社』の取材でアメリカを訪れた折のことです。エネルギー省の奥の院まで踏み込み(これはひとえにアポイントを頼んだアメリカの長女・わが家のホームステイ第一号のエリザベス・アームストロングさんのおかげです)、応対者に「日本人に、ここまで踏み込む人がいるンだ」と周りの人に呼びかけて明るい笑い声を誘ってもらい、私の緊張をほぐしてもらえたことがあります。エネルギー省長官室の隣でのことでした。

 ジョセフ・ロームさんは、30分しか時間を空けてくれていませんでした。話が弾み(これもひとえにリズさんの同時通訳のおかげです)、共に時間不足と感じたのでしょうか。夕刻を待って、3人で夕食を共にすることになったのです。2時間以上も語らいました。これまでは触れずにきましたが、ここで少し触れたく思います。ベトナム戦争を話題にしたときのことでう。

 10分ばかり続いたこの話題の最後で、「結局、反戦運動に立ち上がった人たちが真の愛国者であった、ということですね」と、私は質問しました。その人はよどみなく「その通りです」と応えました。そして「ただし、まだこれは広言を控えるべきです」と注釈をつけました。

 「最愛の夫や息子を失った人が、まだ生々しい記憶の世界に生きています。父を失った人も大勢います」。現実問題として、ベトナム戦争では、確か戦闘で5万人が戦死。当時すでに10万人が復員後自殺。その数は今日までに5万人ほど増えているのではないでしょうか。

 熾烈な戦いに携わりながら帰国すると、英雄でなく、唾棄されたた復員兵もいたのです。

 その後、ベトナム戦争の推進者であったマクナマラ長官は、間違った戦争であったと著作でも表明しており、私は「案の定」と思ったことを強烈に思い出します。

 この「案の定」と思わせた気持ちは、どこから生まれたのか。その1つは、ケネディ大統領の助言者が若き大統領に与えたアドバイスに触れ、その視野や視界に大きさを感じたことです。

 当時はまだ、兵士の比率は黒人が多かったし、ベトナム戦争でも黒人兵の比率が高かった。ですから、アメリカが黒人大統領を生み出すことなど想像すらしていませんでした。

 でも、そのアメリカが、その間に、ブッシュを大統領に選びを、熱烈に歓迎しています。