己が矛盾

 

   私はシカに「痛い目に合わせてやろう」としていたのです。妻は(庭に侵入したシカが飛び出す姿を見届けた)私が躍起になって取り組んだ施策を見て、「ここが」が再び侵入しかねない場所だと気づいたわけです。そして、「侵入させまい」としたのです。それを見て私は「バカだナア」と言ってしまいました。

 幸いなことに、妻はポカンとしていました。私はすぐに2人の考え方がすれ違っていることに気付かされています。つまり「バカだナア」という言葉を私に発せさせた私の想いに「ハッ」とさせられています。それは私が願っている私の生き方と矛盾していた、との気付きです。同時に、妻が付加した施策の方が、私の本来の願いに合致している、と気づかされています。

 つまり、いずれが相手(このたびの場合は侵入したシカ)の身に立っており、有効な施策であるか、の問題です。あるいは、学習効果を発揮させやすい施策であるか、ということです。

 まず相手に対して十分な警告を発しておくことが大切ではないか、ということです。その警告の意味するところを相手が理解できずに、あるいは理解する努力を怠ったり警告を無視したりした場合に、初めて次の手を取るべきではか、ということです。

 その意味で、妻が付加した施策はすこぶる打倒かつ有効ダ、と思われました。

 いきなり私の施策に引っかかるのと、妻の施策を無視して飛び込んだシカが、私の施策に足を引っかけて転ぶのと、どちらが学習効果という意味でより有効か、と考えたのです。