この夏は思うところがあって、ある実験を始めました。それは野菜に関する最大の贅沢の追求です。安全と安心は常識であり、なんといっても大切なのは栄養価と美味しさではないでしょうか。野菜の栄養価と美味しさを追求するには、なんといっても露地栽培の旬が可能にする新鮮さが大切です。しかもその「初なり」です。今年は、その初なりを年に幾度にもわたって楽しもうとする試みに挑んだのです。
キュウリやインゲンマメ(三度豆ともいう)を早生と晩生(おくて)だけでなく、その間に中生(なかて)を挟むのはもとより、4次、5次と少量ずつ育て、幾度も露地栽培の「初なり」を楽しみたい、と願ったわけです。ところが、幾つもの理由が重なって見事に失敗。
最大の理由は異常気象でした。それでなくとも(樹木が大きくなって)日照不足を嘆いているのに、極端なまでの日照不足。それが2次以降の、いわんや3次以降の夏野菜を不作に陥れ、他の理由も重なって、まともな収穫を望めませんでした。
他の理由の1つは多雨。多雨に基づく曇天が日照不足にしたわけですが、それ以上の弊害があった。それはかつて体験したことがない打ち続く豪雨。有機肥料でフカフカにした土にとっては、とても厄介なことで、やわらかい土と軟らかくて軽い栄養分を流し去ってしまった。
もう一つは、多雨の間にカンカン照りが、挟まったこと。豪雨で有機肥料分や細かい粒子の土が流され、そのあとのカンカン照りで干し上げられると、小石だらけの(元が赤土だけに)まるで壁のようにカチカチに硬まった畑にされてしまうのです。
その上に獣害も重なった。シカが初めて継続的に入ったし、カラスを増長(うっかり宅急便を取り込み忘れると、中身は書類なのにこの通り)させてしまった。サルの被害は少なかったけれど、イノシシにも入られてしまった。1つの侵入口は防いだが、少なくとも、もう1つはあるはずなのにそれは未発見。
もちろん虫害(を防ぐために、レースカーテン地で工夫もしていますが)にも悩まされた。コオロギが増えており、冬野菜は種を狙われ、歯抜け状態にされています。
おかげで、病気には(これまで通りに、自然の摂理を尊重しているおかげか)さほど悩まされずに済んでいます。
来年はどうするか。気候変動や、かつて体験したことがない集中豪雨は人災でしょう。これからも悩まされ続くのではないでしょうか。
思いつくのは、日照りと土壌流失を防ぐ手立てぐらいです。畝の上に落ち葉などを分厚く敷くマルチングが大切である、と思い知らされています。もちろん、手軽な方法があります。穴開きマルチのビニールシートを被せて済むことでしょう。それでいいのか。
虫害も大問題です。除草も大変です。もちろん、これらも手軽な方法があります。農薬や除草剤を使えば済むことでしょう。でも、それでいいのか。
原発問題と似たところがあります。食糧とエネルギーは不可欠だし、これまで通りの量の確保を維持したい。そのためには、生命にかかわる弊害にも目をつむるか、の問題です。
あれこれ考えながら、同じく敗戦国から復興したドイツに想いを馳せ、彼我の格差をどんどん広げてしまいそうに思われて心配になったのです。
311を契機にドイツは原発を止めることにしました。安倍政権は原発の再開にご執心だし、原発の輸出にも熱心です。
食糧についてはどうか。この面でも、彼我の格差はドンドン広がっています。
ドイツでは、憲法で(改正してまで、自然環境を護る)農業を奨励している。短絡に言えば、農地は人間のための食糧を作るだけの場所ではない。野生生物の生息の場でもある。従って、都会人は農家の努力や苦労に学び、協力しなければいけない、といった内容。この考えの下に、農家を経済的に救う
(現金収入を増やす)グリーンツーリズムが奨励されている。
元よりドイツには(たしか初代西ドイツ大統領であったと思う、が演説で訴えた)食糧の自給率が80%を切ったら「もはや国家ではない」との考え方がある。
日本のこれまでの農業政策は大失敗であった、と私は思っています。日本のような国土で、アメリカ流の農業、つまり少品種大量化と価格競争に特化したような農業の工業化(化学肥料、農薬、そして機械化)を真似ることは間違いでしょう。しかも、流通
(身土不二に反する長距離輸送や、鮮度を無視している) も大問題です。それはやがて命取りになりかねない、と見ています。
その前兆が自給率の低下です。
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