今年の目の敵は、このイネ科植物。視界に入ると、何はさておき抜き去る。妻は、スモモのケムシを目に敵にしているが、それは私が来年の計画として殺虫剤を用いるはなしをしたことが関係がありそうだ。妻も殺虫剤の使用は最悪の場合に限りたいわけだ。
かつて目の敵としてスズメノカタビラを選び、功を奏し、私は男を上げている。妻は「退治などできっこない」と口にしていたが、昨年あたりからほとんど目にすることがなくなり、妻は考え方を変えたようだ。「その気になれば、ヒツコイ野草も!」手作業で退治できる、と自信を付けたわけだ。そこで、
その時に、「ペンペングサが良き前例だ」と念を押している。庭から一旦絶やしてしまった事例である。もちろんこの他にも、カヤトリグサ、ネコジャラシ、あるいはヒッツキムシ(と読んでいる野草)など幾種もの野草を私は極端に減らしてきた。
昨年から、イラクサ科(縄文時代時代はもとより、綿が普及するまで、日本ではこの草を繊維素材にしていた)の花芽とオオタデは目の敵にしている。今年は、赤いミズヒキも長けた花は(種を落としそうな頃になると)抜き去り、(庭の一部を除いて)「これ以上増やさない」ことにした、と宣言した。言うは簡単だが、メ・ン・ド・ウだ。
このやり方を見習ったのか、妻はスモモに巣食うケムシを目の敵にした(ようだ)。高枝切りを常備しており、目にすると立ち止まって葉や枝ごと切り取り、踏みつけている。
きっとそれは、私が発した一言が関係しているに違いない。妻の苦労を見かねた私が、「来年は、幼虫がまだ固まっている間に殺虫剤を用いて退治する」と話したが、その必要がないようにしたいらしい。妻は「どこまでやるか」見ものだと思う。
もう1つ面白い反応があった。月曜日に「だからですね」と買い物から帰ってくるなり目を輝かせて話しかけてきたことがある。妻なりに、腑に落ちたことがあったわけだ。
実は、スーパーまでの途上に広大な庭がある屋敷があり、「2カ月に1度の割」と言っていいほど頻繁に大勢の庭師(軽トラなど10数台の車で駆けつける)が入っている。その庭師が、いつも野草が種を落とす時期に入ってから除草に取り掛かっていたことに気付いたわけだ。
「だからですね」、その庭師の除草法は、野草を絶やさないようにするやり方ですネ、と言いたかったようだ。そこで私は、次のように答えた。
この時期になると、野草が長けて変色が始まって目立ち、汚く見える。だから、この時期に手を入れるのだ。除草剤を使っていない点も評価すべきだ。そのおかげで、どれだけの昆虫など野生のいきものが救われていることか、と。
わが家ではその上を行くやり方を、つまり「その気になれば、誰にでもできるやり方を編み出そうとしているンだ」と言いたかった。
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