出発の挨拶

 卓道君から電話で(JAICAからイスラム圏に派遣されることになり、研修を受けていたが)いよいよ出かけることになり、2年間の環境教育に携わることになった、と伝えてきた。とても良いことだと思う。

 その会話の中で「危険」と「過激」というキーワードが卓道君の口から出たが、覚悟させたくて次のように話した。

 私が年に複数回海外出張していた頃は、ハイジャック時代であった。だから、生活にゆとりができたときに、まず墓地を買っている。その時に、妻は案内した墓地の前で「イザという時は、ここで会えるのですネ」と語っていた。

 自爆テロを「過激」と見る人が日本人の中にもいるが、不思議でならない。

 チュドルの下に爆弾を隠し、自爆した女性たちに失礼だと思う、とまで言いたかったが、これは避けた。

 かつて日本の多くの青年が「特攻兵器」での自爆作戦に携わったが、過激な行動だったのだろうか、あるいは愚かな行動だったのだろうか、とは語った。

 もちろん、こうした行動につかせた軍部の責任者は許せない。その人たちは「臆病者」であったのではないか、とまで言いたかったが、これは避けた。己はもっと臆病者ではないかと思われ、気後れしたからだ。

 よく勉強してきてほしい。とても良い時期に、良い機会に恵まれたわけだ。うらやましい、といって声で見送った。

 その翌々日の新聞で、よき記事に恵まれている。

 とりわけ、高橋源一郎の意見にあっては、スーザン・ソンタグが「臆病者」に触れたところだ。小熊英二に関しては、海外からの視線に得心でき、若き時の私が共感していた。そう言えばスーザン・ソンタグの「臆病者」も、在ベルリンで出ていた意見であった。