いただきます
 


 「あれは中学2年生であったノカ」と振り返った。生まれた子ヤギを学校に連れ行き、生物の先生が解剖し、「これが胃だ」「この動いているのが心臓だ」と克明に体の構造を教えくれた。なんと、その子ヤギの写真を(子ヤギの部分だけ切り取って)私は残していた。

 小学校を卒業すると、父は鶏に加えてヤギの飼育も私に命じた。蛋白源の増強であろう。私の握力はこの時に抜群になった。また、イソップ物語での、ヤギの扱い方を実感している。ドンブリ鉢に畑で採れた苺を盛り、ヤギの乳をなみなみと注ぎ、キューバ糖を少し振りかけて食べた。ちなみに、冨美男さんは今も時々、母が苺をお裾分けしたことを思い出す。

 ヤギを飼いはじめて2年目であったと思う。受胎させた。生れた子はオスで、不要であった。そこで中学の先生に差し出すことに結び付いていった。今にして思えば、とても良い先生であったと思う。もちろん当時は、そうは思っていない。その証拠に、中学の先生で名前を憶えているのは2人にすぎず、その1人だ。

 他の1人は「オマエは特権階級か」と怒鳴った新任だ。肺浸潤を患っていた私が、体育の時間に見学をしていたからだ。この人は、卒業後も(3度ばかり)一緒に行動した唯一の中学の教師だ。

 実は私は、小学4年から飼っていた鶏の絞め殺し役を担わされ、確か6年から解体を受け持っている。我ながらに過ぎないことだが、それまではたけだけしい心であったと記憶しているが、とても和らいでいる。魚の食べ方に至っては、猫マタギになった。

 今週は、「動物になって考えよう」と叫んでいる人とも会った。いずれ再会し「植物の方が、動物より賢いようだ」と語りあいたく思っている。

 今週は、今年初めて丸ごと一匹のサンマを食べた。その折に、妻がひつこく「その写真を撮って週記に載せなさい」と勧めた。いつもとはまったく逆だ。コンピューターに触れられない、あるいは触れる気にもならない妻は、私の週記を読んでいない。だから時々「そこまで詳しく書かなくても」と注意される。もちろん私は受け付けない。記憶と記録の違いを噛みしめたいからしている努力だ。

 そのおかげで、今週は子ヤギの解剖を思い出せた。これまでは忘れようとしていたのかもしれない。だが、写真がホッコリで出てきたこともあって、それが私の心をなごやかにした決定的出来事であったことに気付かされた。だからだろうか、とても丁寧に「いただきます」と手を合わせたようだ。きっと、サンマを、常より丁寧に食したようだ。

 庭では今、スイフヨウが盛りだ。朝は白く、夕に色が染まり始め、明け方には赤くなって萎れている。
 

子ヤギの写真

サンマを、常より丁寧に食した

朝は白く

明け方には赤くなって萎れている

スイフヨウが盛りだ